• 2017_03
  • <<
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • >>
  • 2017_05

レビー小体型認知症で、あっという間に寝たきりになった母を三年の介護。2014年に母は、旅立ちました。83歳の父もそろそろ微妙な感じです。

母さんの笑顔



スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. スポンサー広告
  2. [ edit ]


在宅の看取り、うちの場合④

年末から下顎呼吸になった母、でも本当にがんばってくれて新年を迎えた。
病院には、入院中の形になっていたので、4日が戻る日。
今後について病院に相談の電話を入れる。
失礼だと思ったけど、若い担当のナースでは話が進まないので、看護部長さんに変わってもらう。
もう病院にはもどらないので、退院の扱いになる。
在宅になるので、看護部長さんから訪問ナース、そして訪問医に連絡をとってくれた。
話が早い。年末も看護部長さんに相談すれば良かったんだろうか?
これで、何があっても、大丈夫な体制になった。

訪問ナースがすぐに様子をみにきてくれた。
『たくさんお母さんとお話し出来た?』と言われて泣けてきた。
母は、ハーハー呼吸をしながら、がんばっていてくれた。
意識がなくて呼吸だけをしている母をみていると、人は生かされているんだなーと思った。

そして、7日の朝、母は亡くなった。
妹と交代で母のベッドの横に寝ていた。ひとりでは逝かせたくなかった。
抱えている母のカラダが少しずつ冷たくなっていった。
私が母の横で一瞬寝てしまったとき、母は亡くなった。
結局、看取ることはできなかった。
みんなが寝てしまった一瞬で、すーっと眠るように逝ってしまった母は、母らしいといえば母らしいのかもしれない。
今も母がどこかにいるような気がする。
息を引き取った光景は夢の中のことのように思える。

つづく

  1. 母のこと
  2. / trackback:0
  3. / comment:5
  4. [ edit ]
スポンサーサイト


在宅の看取り、うちの場合③

北側の個室に入院した母。
血液検査で、炎症反応が前回の通院のときより上がっていたので、点滴をする。
年末の病院は、入院患者が多くてバタバタしていた。
3日間点滴して数値が良くなったら、年末年始になるので、一時帰宅してよいとのこと
。年が明けたら、戻って来て、大丈夫だったら退院することになった。

年末で、看護婦さんがいないのか看護婦さんが来ない。
入院して、ベッドに寝かせてもらったのが昼ごろで、夕飯の時間になっても来なかったきがした。
前の入院の時は、三時間ごとにオムツ交換と体位交換をしたり、ちょこちょこ様子を見てくれた。
なんなんだろー。オムツ交換と体位交換は、自分でやった。

血液検査の数値が良くなったから、年末帰れるねと、先生に言われたのが26日。
27日に一時帰宅することにした。
でも、反応がなんだか悪いのが気になった。血液検査は、よかったから大丈夫、良くなると自分に言い聞かせた。

朝行くと、母の様子が明らかに変。
呼んでも反応が無い。ナースは、さっきまで元気だったと言ってたけど、本当なの?って感じ。
昨日の夜から悪かったのかも、放って置かれたのかもしれない。
もう、ここに母は、置いておけない。
とにかく、妹と早く家に帰ろうと言ったんだよなー。
介護タクシーに車椅子でなく、ストレッチャーに変更してもらった。
介護タクシーの運転手さんも、ただ事じゃないと思ったと思う。

その時、ナースはドクターに連絡したのか覚えていない。
母の意識は無かったと思う。一時帰宅なんだけど、家で亡くなる可能性もあるのに、そのことは何も言われなかった。年末だから、早く帰って欲しかったとしか思えなかった。

家に着いてから、まだ良くなると思っていた。
だけど、年明けからかな、下顎呼吸になってしまう。
訪問医に電話すると、一時帰宅中は、入院扱いだから僕は行けない。おまけに休暇で旅行中と言われた。3年看た患者に、そんなことしか言えないなんて、かわいそうな人だと今は思う。
自分は行けないけど、こうすれば良いのだろうと言って欲しかった。

どこに相談すれば良いのだろう?
とりあえず、総合病院に電話をした。主治医の先生に聞いてくれて、亡くなった場合、病院に連れて行けば、看取ってくれるとのことだった。
それから、妹と交代で母の布団に入って、母を抱えていた。
下顎呼吸になると、そう長くないらしい。
でも、母は頑張ってくれた。
もしかして、逢いたい人がいるのかもと、親戚や母の友だちに連絡した。
みんな来てくれた。私や妹の友だちも何度も来てくれたなー。
下顎呼吸でハーハーしている母の周りで、色んな人が話をしていってくれた。


つづく


  1. 母のこと
  2. / trackback:0
  3. / comment:4
  4. [ edit ]


極楽に行ったかな?

月曜日が、49日だった。
お寺の49日はすんでいたが、お花を沢山買って供えた。
ブログの壁紙?も変えてみました。母の分も頑張るように。

でも、母がいなくなって、困った父炸裂中です。
お寺の49日が済んだ後、父が倒れた。
たぶん、暖房をガンガンにかけた車の中でのぼせた状態から、急に外に出て意識をうしなったらしい。
これで4回目!!!

パートで働かせてもらっている会社の倉庫で倒れて、頭に7針の怪我。
出血がひどかったため、会社の人が救急車をよんでくれた。
本人は、いたって元気。1週間安静にするようにといわれたが、コンビに行ったり、じっとしていなかった。
倒れたときに、クルマのカギ、合鍵も含めて、全部預かってしまった。
会社の社長も、また倒れたら大変だから、もうクルマはやめるようにと言ってくれた。
お医者さんも。

でも、本人は1週間が過ぎたら、クルマに乗るつもりで居たらしい。おそるべし。
カギをよこせといってきた。
大きい声を出して机を叩いて怒った。だから、もっと大きい声をだした。
父親を怒鳴るのって嫌な感じだった。

かわいそうかなあと思ったが、82歳で歩けて、食べれて普通に生きている。
それで、十分じゃないのかなと思う。ありがたいと思う。

会社だって、無理に行かなくてもいい。
バスで行けなくなったら、行かなければいい。
クルマに乗って、他人に迷惑をかけるより、自分の出来る範囲で生活していけばいいんだと思う。
確かに、不便だと思う。
でも、それが歳をとるということなんじゃないんだろうか?
危険を冒してまで、便利な生活をする必要はない。
不便といっても、スーパーもコンビニも銀行も歩いて10分以内にある。

クルマを取り上げてしまっていいのか?と迷う。罪悪感もある。
でも、どんなに元気でも、やはり年相応?の判断力だし、理解も遅くなっている。
自分で返納してくれたらいいのになー。免許。

  1. 母のこと
  2. / trackback:0
  3. / comment:2
  4. [ edit ]


あっという間

母が亡くなり、二週間が経ちました。
コメントや拍手をくださった方、ありがとうございます。
皆さんがあたたくて、ありがたかったです。

葬儀が終わった直後は、寝てばかりでした。
母に供えるご飯を作り、そのおかげでご飯を食べて、また寝る。
そんな繰り返しでした。
母の友だちの近所のおばさんが、時々差し入れを持って、様子を見に来てくれたのは、
うれしかった。
おばさんも、お母さんが亡くなったとき、一ヶ月位何も出来なかったよ。
寝たいだけ、寝ればいいよ。と言ってくれた。
このまま、どうなるのかと思うくらい寝た。
今は、もう、そんなに寝ることはなくて、普通の生活に戻ってきたので、良かった。

母が亡くなったことが、現実で無いような感じです。
母は、どこへ行ったんだろう?

だんだん動けるようになったので、四十九日の準備、仏壇やお墓を建てたり、
やること決めることがまだまだあります。
ぼちぼちやっていきます。
  1. 母のこと
  2. / trackback:0
  3. / comment:2
  4. [ edit ]


1月7日

1月7日、朝6時21分 母が亡くなってしまいました。
今は、安らかな顔、ちょっと笑顔で眠っています。
  1. 母のこと
  2. / trackback:0
  3. / comment:9
  4. [ edit ]

NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY>>

プロフィール

みや

Author:みや
レビー小体型認知症で2ヶ月で寝たきりになった母を自宅で介護。3年の闘病の末、母は73歳で旅立ちました。
現在、83歳の父が微妙なかんじです。

« 2017 04  »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。