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レビー小体型認知症で、あっという間に寝たきりになった母を三年の介護。2014年に母は、旅立ちました。83歳の父もそろそろ微妙な感じです。

母さんの笑顔



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イヌイットになった日本人のテレビをみて思う

昨日、NHKでイヌイットになった日本人の親子三代の記録をやっていた。
おじいさんが日本人で、子供、孫の三代で狩りをする様子が映し出されていた。

生きるための狩りや生活全般の仕事を、子供に伝え、それが孫に伝えられている。
いきるための仕事だから、教えるほうも教えられるほうも真剣、そして子供を見守るおとうさんやおじいさんのまなざしが温かかった。何歳になったから、これをやってみろと言ってやらせる親。チャレンジする子供。
人を育てるってこういうことなんだと思った。


私も、こういう親からの伝授を求めていたんだと思う。
核家族でなんにも伝統はない家だったけど、ふじちゃんの技術とか伝授されたかったな。
母は、私や妹にまっすぐな気持ちで正直に生きる姿を見せ続けてくれたと思う。
ただ、どうした訳か、料理とか裁縫とか教えてくれなかったなあ。(掃除はよく一緒にした)
私が、部活で遅かったり、遊び歩いていて家に居なかったことも要因だと思うけど。
気持ちや生き方は、教えてもらった感があるけど、母のもっている技術は教えてもらいたいなあで終わってしまった。
だから、ここに来て、母がこうなったことで、動揺している自分がいるのかもしれないとふと思った。


たぶん、イヌイットの子供は、はたち前には、親のもっているすべての生きる知恵を伝授されているのだと思う。それが、大人になるということなんだと思う。
それは、親と過ごす濃厚な時間であり、親はいついなくなってもいいという覚悟もあるんだと思う。
そして、親も子供も成長していくんだと思った。


そんな時間が私には、足りなかったんだと思う。なんとなくそれは、ずっと感じていたこと。
今、はっきりした感じがした。
ふじちゃんに反発ばかりしていたから仕方がないことなんだけど。







  1. 母と私の関係
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ふじちゃんと私の関係①

ここのところ、過去を振り返って落ち込む。
ふじちゃんが薬で変になっていった頃ではなく、もっと前のことをふと考える。

ふじちゃんは、幸せだったのだろうか?
ぜんぜんわからない。
いつかそういう話をしたいなと思いながら、しないままこうなってしまった。


ふじちゃんは、22歳でハチとお見合い結婚。
23歳で私、27歳で妹を出産。
29歳のとき、家を建てての今のところに越してくる。
今は、新興住宅街でたくさん家が建っているが、当時はポツポツとしか家がなくて田んぼの中の一軒家だった。
子供二人抱えて、父の帰りも遅く、実家もバスで行くしかなく不安な毎日を過ごしていたんじゃないのかな。
近くに少しずつ知り合いもできたけど、どうだったんだろう。
もともと商店街のお米屋さんの娘で、近所つき合いが濃厚な環境から、さみしかったんじゃないかな。


小さい頃、私は本当によく怒られた。
外に出されたり、押入れに入れられたり。たくさん泣いた。
ふじちゃんが怖かった。

妹は、怒られたことがなかったらしい。
一緒に買い物に行っても、選ぶのが遅いって怒られたり。
だから、あんまり買い物に行かなくなった。

中学、高校の頃は顔をあわせれば喧嘩ばかりしていた。
若い頃は、趣味で遊んでばかりで家にいなかったな私。
反抗しまくっていた頃。


私が30で結婚して、ふじちゃんと買い物に行くようになって、とっても幸せだなあと思った。
本当に幸せだった。スーパーでもどこでもふじちゃんと買い物に行ける事が幸せだった。
旅行も行こうといいながら、ふじちゃんは友達と出かけることが多く、数回行ったきり。
これから行きたいなと思っていたのに。


私たち夫婦に子供ができなくて、「孫が出来なくてごめんね」と話したとき、
「あんた達夫婦の人生だから、二人が仲良く暮らしていければいいんだよ」と言ってくれた。
夫の実家が遠くて、GW・お盆・お正月のほとんどを向こうで過ごしてしまっていた。
そのときも、「お嫁に行ったのだから、向こうのご両親を大切にしなさい」
って言ってたけど、さみしかったよね。ごめんね。
妹も仕事が忙しくて、大体 GW・お盆・お正月は、ハチと二人だったもんね。


もっともっと、元気なうちにたくさん話をして、旅行行きたかったな。


ふじちゃんと甲府に行って、お揃いの印伝の財布を買ったことがあった。
甲府の駅で、自転車で旅をしている若者がいて、ふじちゃんがポツリと
「若かったら、あーやって自転車で旅したかったな」と言ったことがあった。

ふじちゃんは、ままちゃり大好きで、どこに行くのもままちゃりで行く元気なおばさんだった。
子供の頃、ままちゃりの後ろに妹を乗せて、私は子供用自転車で2台でいろんなところを走った。
どこに行ったかは覚えていない。
ただ、ふじちゃんの自転車の後ろを必死でついていったことを覚えている。

つづく



  1. 母と私の関係
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プロフィール

みや

Author:みや
レビー小体型認知症で2ヶ月で寝たきりになった母を自宅で介護。3年の闘病の末、母は73歳で旅立ちました。
現在、83歳の父が微妙なかんじです。

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