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レビー小体型認知症で、あっという間に寝たきりになった母を三年の介護。2014年に母は、旅立ちました。83歳の父もそろそろ微妙な感じです。

母さんの笑顔



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偶然

母のことを色々考えると辛くて涙が出てくる。
だけど、考えても何も変わらないことに気づいた。
なので、考えそうになったら止める。ボーっとして考えないようにする。

そうすると体がとっても楽になってきた。
「これって現実逃避?」と思った。
たまたま、友達にそんなことを聞いてみた。そしたら彼女も「辛くて辛くてどうしようもないことがあって、考えないようにしたら楽になったんだよ」って言った。
同じ時期に同じようなことを考えていたので、少しびっくりだったけど。

「考えても変わらないし、考えてもどうしようもないことってあるよ。だから考えなくていいと思う」と彼女は話してくれた。
良くわからないことだらけの世の中のことを、小さい私の脳みそで考えてもわかるわけないかと思った。
考えて体を壊していくより、考えずに楽になっていくのならそうした方が良さそう。

去年の10月くらいから母の体調がどんどん悪くなっていったので、去年のことを振り返ってブログに書いて自分の気持ちを整理しようとしていた。そしたらどんどん辛くなって、どうしようもなくなってしまった。
だから、過去が振り返る必要がある日が来るまで、過去は封印することにした。
なので、母の経緯や去年のことは中途半端に終わっている。ごめんなさい。

そして、今の母を中心に家族が快適に暮らせる方法をしっかり考えいく。
  1. ふじちゃんの経緯
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去年のこと④

ハチとふじちゃんで救急車を呼んだ土曜日。
急いで夫と○△脳神経外科に駆けつけると、ふじちゃんは車椅子に乗っていた。
ちょっと、年取った感じがした。ぼーっとしていた。
「なんともなかった」といいながらハチに「お父さん私がこんな病気になったしまったごめんね」と言っていた。
でも、耳の悪いハチには聞こえてなかったような…。

その日、鍼灸院を予約してあったので「どうする?」と聞くと、行くと言うのでふじちゃんと二人で向かう。
ふじちゃんは、外階段をしっかり上がっていた。
針治療をしていると、ふじちゃんの右手の腫れがひいていた。
これにはふじちゃんもびっくり、9月まで1年半違う治療院に通っていてよくならなかったと言っていた。

この治療院、昨年の夏にたまたま知り合った。もっと早くふじちゃん連れて行きたかったけど、ふじちゃんは、別の治療院の先生が気に入っているようだったし…。もっと早く連れて行きたかったなと今でも思う。

そして、ふじちゃんと実家に戻って、ご飯を食べて家に帰った。

このときは、パーキンソン病にふじちゃんが落ち込んでいるとみんな思っていた。
それから、携帯や家にふじちゃんからよく電話がかかってきた。
「手が腫れて熱いんだよ~」「首の後ろが痛いんだ~」
あんまり電話がかかってくるから、「先生大丈夫って言ってたじゃん」なんて怒ってしまったこともあった。
ハチも、妹も私も、ふじちゃんを総合病院に連れて行こうと思っていたけど、もう少しふじちゃんが落ち着いてからの方がいいんじゃないのかと思い出した。
パーキンソン病の初期だから大丈夫という思い込みがあった。

メネシットの服薬をはじめてから、2週間経って、ふじちゃんは右手に力が入らないと言っていた。
布団を自分で上げ下ろししていたのが、出来なくなっていた。
料理も包丁を持てないというので、妹と休みの日に交替で実家に行って、野菜を切って、味噌汁が出来るように冷蔵庫に入れていたが、作らなくなっていた。変だけど、落ち込んでいるのかと思った。

2週間目の通院は、ハチとふじちゃんで行った。たぶん、力の入らなくなっていることは伝えられなかったんだと思う。手の動きがよくなったと先生に言われたと言っていた。
それからしばらくして、ふじちゃん、電話はしてくるけど、電話に出なくなっていた。
ふじちゃんが電話してきて、「最近ねむれない」という。
その頃、私はピラティスの試験が迫っていたこと、会社の上司のストレスで精神状態が最悪だった。
眠れないというふじちゃんに大丈夫だよとまた言っていた。
ふじちゃんの眠れないの訴えに、ハチは○△脳神経外科にふじちゃんを連れて行った。
夕方家に電話すると誰も出ないので、ハチの携帯に電話すると二人で病院に居た。

うつだったとふじちゃん。うつの検査をされたらしい。
パキシルという薬を1錠出された。ふじちゃんは、うつじゃないと思った。
だから、「パキシルは飲んじゃだめ」とふじちゃんに電話で言った。
でも、眠れないからというので、実家に急いで向かった。
パキシルは私のかばんにしまった。
その夜、ふじちゃんは眠れたんだと思う。ただ、ハチが夜中に突然家を飛び出していった。
様子を見に行くが見当たらない。
パキシルを飲むなと言われた事で、どうしてよいのかわからなかったらしい。


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去年のこと③

今朝、置き薬屋さんが来た。
「おかあさん、どう?」
「寝たきりになっちゃった。」
「去年の今頃は、元気だったのにね…。」そんな話をした。

「中学生と自転車でぶつかってから悪いな」
みんなそういう。おととしの6月中学生と自転車でぶつかって、右手と右足が腫れて治らないとみんなに話していたふじちゃん。鍼治療で腫れはひいてきたよ。なんていってた。
でも、それは自転車でぶつかったからじゃなくて、レビーの進行で動かなくなっていたんだと思う。
本人が、自転車の怪我っていうから、みんなそう思っていた。

10月の整形外科に行ってから、次の通院は一緒に行こうと思った。
それからすぐの11月3日、「今から行くよ」って家に電話を入れると。
「今、病院に行ってきた。手足が震えて立っていられなくて…。CT取ったら大丈夫だって。」
びっくりしてすぐに実家へ。
手足が震えているのに、救急外来じゃなくて、内科の当番医に連れて行ったハチ。「なんで?」
たまたま、そこにCTがあって、先生が明日、近くの○△脳神経外科にかかるように言ったとのこと。

妹に電話をして、総合病院の脳神経内科にかかろうと言ったけど、ハチは自分が通っている病院だったので、うれしそうに「俺が母さんを連れて行ってやる」と行って、そこの脳神経外科に連れて行った。
「何で?」と思ったけど止められなかった。

翌日、脳神経外科に一緒についていった。
先生は、手が震える、顔が能面のよう、すり足歩行、でパーキンソン病と診断。
メネシット100が一日2錠処方される。
パーキンソンの初期だから、飲まなくてもいいけど、私なら飲みますというので、ふじちゃんも飲むことに。

ハチは、MRIも撮ってくれたから大丈夫だななんて言ってた。
私は、そんなに簡単にわかるの?って思ったけど、初期って言われたこと、ふじちゃんがいつもと違って、妙に弱気で不安を訴えていたので、病気を受け入れて落ち着くまで様子をみようと思ってしまった。

その週の土曜日、実家に向かおうとしていると、ふじちゃんから電話。
「頭の後ろが、すごく痛い」「今から行くから待ってて。一応先生にも電話してみるよ」
と電話を切った。病院は開業時間前だったので電話が繋がらず、ふじちゃんに電話すると電話がでない。
ハチの携帯に電話を入れると、救急車をよんだとのこと。
ハチは救急車で総合病院に連れていこうと思っていたみたい。でも、救急車の人に○△脳神経外科にかかっているって言っちゃったので、またそこに連れて行かれてしまった。
先生からは、多量の痛み止めとシップが出された。MRIをまた撮ったみたいだけど。

次の週に、総合病院の脳神経内科に連れて行こうと思っていた矢先の出来事に少し疲れてしまった。


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去年のこと①

去年の今ごろ、ふじちゃんはまだ普通に暮らしていた。
凝ったもの作らなくなっていたけど、料理もしていた。
友達ともランチとか行ってた。

9月のはじめに家に電話をすると、「胸の下がポツンって赤くなって何か出来てるんだよ。暑いからあせもかも?」
なんていってた。次の日電話をすると、「皮膚科に行ったら帯状疱疹だった」って。

足が動かなくなっているのに、一人で自転車で病院に行った。
その病院は先代の先生はなんでもみてくれたけど、代が変わって内科になっていて、仕方がないので、おばあちゃんの家に自転車置いて、違う皮膚科に行ってきたといっていた。
何でハチに連れてってもらわなかったのか?何で私が気にしてつれていかなかったのか?今でも悲しくなる。

ご飯の支度とか大丈夫と聞くと、大丈夫あるもの食べているし、お父さんも買い物してきてくれるからというので、様子も見に行かなかった私。
体辛かったよね。帯状疱疹だけでも痛いのに…。

今も思い出して、本当に申し訳なくなる。
自分も夫も体調を崩していたので、母さんは、調子が良くなったら来てくれたらいいよ。なんて言ってくれていた。本当になんで急いで行かなかったのか。いまでも良くわからない。
ただ、母さんは強いから大丈夫なんて変な感覚があった。もう70歳なのに…。
母さんが寝込んだこと、今まで見たことなかった。
たぶん、ずっと無理して頑張ってきたんだよね。


ふと思い出して、書いているけど、この一年あっという間だった。
今まで生きてきた中で一番早かった。
こんなに一年が早いと、あっという間に人生って終わっちゃうなと思った。
あと10年位、ふじちゃんに元気なままでいて欲しかったと思ったけど、こんなペースで1年が過ぎていけば、10年なんてあっという間で、終わっちゃう。
ずっと元気でいて欲しかったけど、だらだら暮らしていたら、70歳も80歳も同じかも知れない。
たぶん、ふじちゃんは、もう十分やることやったよと言ってそう。
本当に一生懸命、何でそんなに色々やるのって感じの人生だった。
私としては、ずっと一緒にいたかったけど…。

そんなことを考えていた。
ふじちゃんが今の状態になって、生きているのもどうでも良くなっていた私。
でも、妹や夫が支えてくれて、ハチも淡々と生きていて、やっと自分の人生しっかり生きなきゃと思うようになってきた。
ふじちゃんが今の状況になったことで、生きることのはかなさ、辛さそして、自分の人生の洗い直しをさせられている。

ふじちゃんは、やること極端だったから、今回も激しすぎるけど、いままで放っておいたままだったもんね。今のふじちゃんに恩返しして大事にしていくよ。

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ふじちゃんの今までのこと⑤

今日は、勢いで書いてしまいます。
書いたら夕飯の支度しよっと。

ふじちゃんが八十八ヶ所に行ったH21年の4月。私にも転機だった。
ここからは、超愚痴です。ごめんなさい。


知的障害の福祉施設で事務をしていたが、上司のわけのわからなさに疲れてしまった。
女子4人のうち3人がやめることになっていた。
わたしは、あと1年勤めてから1年休んでふじちゃんと過ごそうって漠然と思っていた。何の根拠もなかった。
たぶん、今までならそうした。

そのときは、夫の友人から家の近くで土日休みで4時半に終わる事務があるという話をもらう。
ちょうど、ピラティスの仕事が夜入るようになり、ちょうどいいかなと思った。
前の職場が事務のままだったら、転職はしなかった。
突然、事務ではなく相談の仕事をという異動がでた。
やりたい仕事だったけど、帰りが遅くなりピラティスの仕事もできなくなるので、勢いで転職した。

この転職先が最悪だった。
土日休みのはずが、土曜は半日しか休みがなく、就業規則もない。
面接のとき、休みたいときに休んでよいからなんていったけど、誰も休まない。
専務のワンマン経営。
とっととやめればよかったのに、知り合いの紹介だったんのであと少し勤めたらと思っていた。
胃の調子も悪くなっていた。

今までだったら、実家に金曜の夜から日曜の夜まで月に1回は泊れたのに、土曜の夜に泊るくらい。
しかも、土曜の午前が使えなくなると、色々支障が出できて、日帰りが多くなった来た。
もっと泊りたいな。と思ったけど仕方ないと思っていた。
母さん調子悪いけど、膝だし、あと少し勤めたらやめてもっと一緒にいようと思っていた。

たぶん、私もこの頃精神的に疲れていた。
今までに出会ったことのない高圧的な専務。
ふじちゃんのことを考える余裕がなかったんだと思う。

嫌だったら早くやめればよかったのに、大事な人を大切にできなかった。
ずっと、大事な母さんを後回しにしてきた私。
それが、私の生き方なのかもしれない。


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プロフィール

みや

Author:みや
レビー小体型認知症で2ヶ月で寝たきりになった母を自宅で介護。3年の闘病の末、母は73歳で旅立ちました。
現在、83歳の父が微妙なかんじです。

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