レビー小体型認知症で、あっという間に寝たきりになった母を三年の介護。2014年に母は、旅立ちました。83歳の父もそろそろ微妙な感じです。

母さんの笑顔



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ふじちゃん初ショートと胃ろうの検査

月~水とふじちゃん初ショートでした。
デイに通っているところの併設の部門。
ショートの相談員の方がすごく一生懸命の方でした。
極力、車椅子に乗せてくれて、人の中に入れてくれたみたいです。オムツもバルーンのふじちゃんには暑いのでと何とかパンツっていうのに変えてくれました。
うちでも、ふじちゃんがはいていた、はけそうなパンツにしてしまうことにしました。
パンツ+パットにします。

帰ってきたふじちゃんは、元気いっぱいだったので安心。
とっても不安だったけど、お互いリフレッシュ。
来月も利用していこうと思います。

そして、今日は胃ろうの検査。
介護タクシーで病院へ。ふじちゃん目をくりくりしてとっても楽しそう。
表情よく、元気な頃の母さんの顔でした。

妹と涼しくなったら、車でどっかに連れて行きたいねと相談。
胃カメラ後のふじちゃんは、辛かった様子でぐったり。
たぶん、病気したことのなかったふじちゃん、初胃カメラだったのでは…。
その後、むせ・咳き込みも強く辛そうでした。
検査の結果は異常なく。胃ろうOKとなりました。

7月半ばに入院してオペの予定です。
先生が母に「がんばりましょうね」と言ってくれてとっても嬉しかったです。
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自分らしく生きるということ

ふじちゃんが今の状況になってから、私の生き方はたぶん180度変わった。
とにかく、気になることはとにかく聞く。動く。

ふじちゃんがどんどん悪くなっていく時、何も行動できなかった。その前もそう。
自分に自信がなかった。

今は、思ったことは、すぐやる。人がなんて思うなんて関係ない。私がとった行動で人が私のことをどう評価しようとそれは、その人が感じたことで私には関係ないこと。
ふじちゃんが教えてくれているんだと思う。

ふじちゃんが経管栄養と尿カテーテルで寝たきりになって、ふじちゃんの仲の良いお友達が一言。
「こんなになっちゃって。一番本人が嫌だって言ってた最後になっちゃったね」
「もっと早く、気づいてあげたらこんなにならなかったのに…。わからなかったの???」

変だったけどわからなかった。
でも、ふじちゃんがどんな姿だろうと、ふじちゃんは私の大事なお母さん。
そんなこと言わないでよと思った。「こんな状況で家にいるなんて」とも言われる。
気づいてあげれなかったから、一緒にいたいから居るだけ。ただそれだけ。家の家族がそうしたいだけだからそれでいいじゃん。これが今の私の自分らしく生きるだから。

ふじちゃんのような状況で生きている人がたくさん居ることを、私はふじちゃんがこうなってから知った。
もっと前に知っていたら、家の親はこうならないから大丈夫と思っていたかも。
でも、誰にもいつ起こってもおかしくないことだと思う。
ふじちゃんがこうならなかったら、尊厳とか偉そうなことを言っていたかもしれない。

でも延命っていうけど、ふじちゃんには意志がある。だからもっと生きて欲しい。
ふじちゃんはまだ71歳。
生きる手段があれば生きていいと思う。
本人は時々、「もういいよ」って言うけど、「生きてよふじちゃん」
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今の実家は築43年の古い家。
所々壊れかけているので補修が必要。
下水とサッシはこの前修理。

ふじちゃんは、ずっと家を建て替えたいって言ってた。
冬がとても寒いので、改修検討中。
妹も帰ってくる予定。夫も一緒に住むために色々相談。
設計の友人にも相談して、結局、家を建てることになりそう。
妹も私もこの歳でアパート暮らし。
ずっとふじちゃんに早く家を建てなさいって言われてた。ずるずるここまで来ちゃった。


田舎なので、家の前に畑だった土地がすこーしあるので、小さな簡単な家。
この歳になってここに家を建てるとは思わなかった。

もっと早く建てていれば…。また後悔。
だけど、ふじちゃんがみんなでここに住みなよって集めてくれたと思って住みます。

ハチは古い家に住むというので、私、妹、夫、ふじちゃんで新しい家に住むことになると思う。
夫は、いまいち乗り気でなく、近くにアパート借りるとか言っているけど、すすめてしまうことにします。

夫は悪い人ではないのだけど、ずっと夫の煮え切らない態度に振り回されてきた。というか、気を使ってそれにあわせてきた。家も建てようっていったけど、いつ実家(遠く)に帰るかわからない。ばかりを繰り返してもう18年になる。

先のことはその時考えれば良い。今、みんながベストに快適に暮らせる方法を考えればいいと思う。今が大事。

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ハチと外食

昨日は、ふじちゃんが通所リハの日だったので、銀行行ったり普段出来ないことをこなす。
12時半過ぎ、ハチが帰宅。
ハチは、79歳の今もパートで週3日仕事をしている。


あまりの暑さでお昼を作る気力がなかったので、ハチに「おそばを食べに行こう」と誘う。
ハチはすぐに仕度をして、新しく出来た○○というところがあるからそこに行こうというと、「それは、川のところにあるのだよな」とすでにチェック済みの様子。


久々にハチと外食をした。
いつの頃か、みんなで外食しようというと、ふじちゃんが「お父さん外で食べるの嫌いだから…」と言って外食を却下していた。よく考えたら、前はみんなで外に食べに行っていたから、嫌いじゃなかったんだと思う。
でも、ふじちゃんがそういうから(ふじちゃんは家族の中心だったから)そうなんだと思っていた。ハチに確認すればよかった。
たぶん、ふじちゃんが行きたくなかったか、ふじちゃんの思い込みだったんだと思う。
その頃のハチは、ふじちゃんが怒るからイライラして仲良くなかったからそれもあるのかも。


ハチとおそばを食べながら、ふじちゃんがこうなってしまったこと。ハチも変だと思っていたけど、膝と手が悪いと思って気づけなかったことを話してくれた。
「そういえば、いつからだったか大好きな山菜採りに行こうって言わなくなっていたなあ」とか、「洗濯もしなくなっていたけど、手が痛いからだと思っていたんだ」とか…。
毎日一緒にいたのに気づけなかったハチの辛さを感じた。

「とうさんは悪くないよ。私たちも膝と手が悪いと思って気づけなかったもの」というと少し表情がやわらいだ。


それから、自分の飲み始めたアリセプトと抑肝散1包の話をしてくれた。
抑肝散は朝飲むと頭がぽかぽかしてくる??
アリセプトは、1.5mgから始めているが特にこれといった変化はない様子。
変に感じたら話してねと伝える。

始めに行った脳神経内科の言うとおりアリセプトを飲んでいたら、ハチは今頃アリセプト5mg飲んでいたと思うと言った。もしかしたら、10mgだったとも。俺は、今頃暴れてたかなあとか…。
教えてもらってよかった。必要のない薬を飲んでいるところだったと。
本当にそうだ。ふじちゃんがこうなったおかげなのかも知れない。

ふじちゃんも一緒にここにいたら、どんなに幸せだったんだろう。もう、かなわないね。




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朝起きると

今朝起きると、台所で母の足音。
朝食の準備をしている母の足音がした。
お母さん元気だったんだ。良かった。うれしい。と思ったら、目が覚めた。
本当にうれしかった。ほっとした。

隣を見たら、母がいつもどおり寝ていた。

半年で母が急激にこんな状況になって、私はガタガタに崩れた。
自分がこんなにも、母中心で動いていたなんて。

ピラティスも自分の体がどんどん調子よくなっていったので、母や近所のおばさんたちを集めて、実家でレッスンをするのが目標だった。母に元気でいて欲しかったから。
予定では、今年の4月からはじめるつもりでいた。
母がよぼよぼになっても、一緒にレッスンしたかった。

母と一緒に行きたいところがたくさんあった。
でも、出来ずじまい。
実行力なかったなあ私。


私の人生は、母に喜んでもらうことがかなりのウエイトを占めていることに気づいた。
そういえば、いつも母のことをなんとなく考えていたような気がする。
一緒にこうしたいなあとか。

昨年の12月末の母が調子の悪いとき、ピラティスの新しい資格の合格通知が届いた。
母に報告したら、「よかったね。私がこんな状態じゃなかったら協力してあげるのに…。」と言ってくれた。
「絶対によくなるから、協力してね。」と能天気に返事をしていた。レビーだなんて思ってなかったから、絶対良くなるって思っていたから。
いつもやりたいことを応援してくれた。

だから、ガタガタな気持ちが上がってきたら、またピラティス頑張っていこうと思う。
スタジオは、名前は母の名前をもらう。



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ふじちゃんからありがとう

今日は朝から暑い。
ふじちゃんの部屋はエアコンを入れて快適温度にしているはずが、両手の震えもあり汗びっしょりになる。
訪看さんはアイスノンで冷やせっていうけど、そんなに冷やしていいんでしょうか???
みなさんは、どうされているんだろう?


お昼の栄養中、ふじちゃんが台所を指差して「お水下さい」って。
急いでお水を。
スプーンで飲ませようと思ったけど、唾のムセがここのところひどいので、霧吹きでシューっと口に入れる。
するとふじちゃんから「ありがとう」。もっといると聞くと再び「うん」そして「ありがとう」

ここのところ、口も力が入ってしまって、言葉が聞き取りにくくなっているけど、はっきり。
昨夜も、美空ひばりのテレビを見て、一緒にふーんといいながら歌っていた。
うれしかった。

ハチは、この暑い中外で畑仕事。
朝から動きすぎで徘徊の一種かと思ってしまうくらい。
止めると怒るから、やりたいようにやってもらおうと思う。
水分は取っている様子。

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ふじちゃんの今までのこと⑤

今日は、勢いで書いてしまいます。
書いたら夕飯の支度しよっと。

ふじちゃんが八十八ヶ所に行ったH21年の4月。私にも転機だった。
ここからは、超愚痴です。ごめんなさい。


知的障害の福祉施設で事務をしていたが、上司のわけのわからなさに疲れてしまった。
女子4人のうち3人がやめることになっていた。
わたしは、あと1年勤めてから1年休んでふじちゃんと過ごそうって漠然と思っていた。何の根拠もなかった。
たぶん、今までならそうした。

そのときは、夫の友人から家の近くで土日休みで4時半に終わる事務があるという話をもらう。
ちょうど、ピラティスの仕事が夜入るようになり、ちょうどいいかなと思った。
前の職場が事務のままだったら、転職はしなかった。
突然、事務ではなく相談の仕事をという異動がでた。
やりたい仕事だったけど、帰りが遅くなりピラティスの仕事もできなくなるので、勢いで転職した。

この転職先が最悪だった。
土日休みのはずが、土曜は半日しか休みがなく、就業規則もない。
面接のとき、休みたいときに休んでよいからなんていったけど、誰も休まない。
専務のワンマン経営。
とっととやめればよかったのに、知り合いの紹介だったんのであと少し勤めたらと思っていた。
胃の調子も悪くなっていた。

今までだったら、実家に金曜の夜から日曜の夜まで月に1回は泊れたのに、土曜の夜に泊るくらい。
しかも、土曜の午前が使えなくなると、色々支障が出できて、日帰りが多くなった来た。
もっと泊りたいな。と思ったけど仕方ないと思っていた。
母さん調子悪いけど、膝だし、あと少し勤めたらやめてもっと一緒にいようと思っていた。

たぶん、私もこの頃精神的に疲れていた。
今までに出会ったことのない高圧的な専務。
ふじちゃんのことを考える余裕がなかったんだと思う。

嫌だったら早くやめればよかったのに、大事な人を大切にできなかった。
ずっと、大事な母さんを後回しにしてきた私。
それが、私の生き方なのかもしれない。


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ふじちゃんの今までのこと④

昨夜のふじちゃん、わずかに動く左手で小さなクッションをベッドの下に落としてくれました。
何度かしつこく手元に置くと、何度も落としてくれました。
妹には、「どっかに連れてって」といっていたようです。
両手の震えが激しく、口元も少し震えが出るようになってきました。
口も開きにくいようで、言葉が聞き取りにくくなってきています。
ベルマッックスを少量飲んでいますが、効かないみたい。




H21年4月のこと。
四国八十八ヶ所3回目。膝が痛いので長い階段を上がれずにバスで待っていたお寺もあったみたいだけど、何とか行ってこれたふじちゃん。
「膝が治ったらまた行けば良いじゃん」「もういいよ~」となんかいつもと違う返事。
いつもなら、良くなったらまた行くよ。と言ったと思う。
京都のお寺にお参りに行って、八十八ヶ所は終わりになるって言ってたけど、もう行かないと言っていた。
その後、八十八ヶ所の話をしてくれることはなかったなあ。
いつもなら、旅の思い出を見せてくれるけど、何も見せてくれなかった。

後で、一緒に行った近所のおばさんが、旅館で自分のタオルと人のタオルの区別がつかなくて、変だなあとおもったんだよと言ってくれた。私に言おうかと思ったけど、何かの間違いかもしれないとおもって言えなかったって。(言って欲しかった。離れて住んでいたから仕方ないけど)
たぶん、ふじちゃん嫌な思いしたんじゃないのかな。辛かったね。


家に様子を見に行くと、歩いているんだけど、体は上体が半分に折れてオラウータンみたいな歩き方をしていた。膝が痛いだけでこんなになるんだろうかと思った。

「本当に大丈夫なの」「大丈夫だよ」って笑顔。
しばらく整形外科に膝の水を抜きに通院するからとのこと。
そんな状況だったから、ハチが送迎していると思っていたけど、はじめはハチが送っていったみたいだけど、途中からはふじちゃん、自転車を押して自分で行っていたみたい。
大変だったよね。しんどかったよね。ごめんね。

4月~始まった通院も6月には終わり、ふじちゃんの歩き方もオラウータンから少し足を引きずっているくらいになっていたので、良くなったって思っていた。

その矢先「中学生と自転車同士でガチャーンってぶつかって、右手と右肩を強く打っちゃったよ」って。
しかも、数日経って、実家に行った時に話してくれた。
体は、整形外科で見てもらったらなんでもなく、ただの打撲とのこと。
自転車をなおしてきてというので、自転車屋さんに自転車を運んだ。

それから、水が溜まった右ひざとぶつかった右手、右肩がすっきりしないと、友人の紹介で鍼灸医に通いはじめた。実家に帰ると、腫れが引いてよくなってきているからもう少し通ってみると。
オラウータン歩きと比べたら、スムーズに歩けるようになってきていたので、効いていると思っていた。
時々、足が貧乏ゆすりみたいに震えるんだよって言っていたのに、気にしてなかった私。
リウマチの人みたいに足がむくんでいたので、リウマチと思ったけど、検査の結果はリウマチでなく、勝手に大丈夫と思っていた私たち家族。

それから、翌年のH22年9月までふじちゃんは、週一回鍼灸医に通っていた。
手も肩も足も大部良くなってきたんだよって言ってたけど、判断する力がなかったのかも。
足も水じゃなくて、動かなくなっていて、手も肩も打撲の後遺症じゃなくて、病気で動かなくなっていたんだと思う。ふじちゃんの思い込み。気づいてあげられなくてごめんね。私たちも思い込み。
友達が言うには、手も震えていたんだよって。

そういえば、鍼灸に行こうと思ったとき、急に足に力が入らなくなって歩けなくなったことがあったんだと言っていた。腱鞘炎といわれたよって言ってたけど。

鍼灸も、動かない体で、はじめはハチに送ってもらったり、タクシーで行ってたけど、良くなってきたからリハビリで歩かなきゃと言って、バス停まで10分位歩いてバスで行ってた。
土曜日なら私の仕事休みだから、一緒に行こうといっても、自分で行くから良いよと言って行ってた。
動かない体で、足を引きずりながら、ゆっくり歩いてバスで通っていたふじちゃんを思うと、かわいそうで泣けてくる。

うちの家族、ふじちゃんの友達、親戚、近所の人、みんな膝と手が治らなくて変だと思っていた。
なんでこんなに長くかかるんだろうって。
他の整形外科に受診させていたら。
ふじちゃんの様子をもっと本人に聞いていれば。と今になって思う。
鍼灸の先生も後で聞いたら81歳だった。ふじちゃんの訴えを聞けていたのだろうか?
ふじちゃんついてない。

ひとりぼっちで良くなることを信じてポジティブに通院していたふじちゃん。
膝だから大丈夫と思っていた娘。本当にごめんね。


~つづく~





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ふじちゃんの今までのこと③

ふじちゃんの体に変化が出てきたのが、2年前、H21年の1月ごろ(本人の手帳の記録)
右手が腫れて、動かないと言って、整形外科にかかる。
異常なく、使いすぎとのこと。
50肩もやっていて、肩こりだったから、そうかなと思った。
細かい作業もたくさんやっているし…。

見せてもらったけど腫れている様子はなかった。
「だんだんよくなってきたけど、手を使うと痛くなる」と言っていた。
だんだん、手芸もやらなくなって、新聞のちらしを折って、袋を作り始めていた。
手が痛いから、やらないのかと思っていた。
一緒に歩いて買い物に行ったとき、右足をするように歩いていた。
気になってので、病院に行くように言ったけど、大丈夫だよと言っていた。

ただ、こんな症状が出る少し前、H20年の秋ごろ、妹が一緒に美術館に行ったとき、「母さん歩くと疲れたって言ってすぐすわっちゃうんだよ」と言っていた。
運動不足だと思っていた。
ちょうど、四国八十八ヶ所に行くとのことで、夕方歩き始めたと聞いたので、大丈夫かとここでまた思っていた。

ふじちゃんは、H20年4月、H20年10月、H21年4月の3回に分けて、お寺の人たちと四国八十八ヶ所に行った。もちろんバス。四国八十八ヶ所に行けたら、もうどうなってもいいなんて言っていた。
本当にそうなっちゃったじゃん。
1回目に行ったときは、楽しそうに話をしてくれた。

ふじちゃんと仲良しの近所のおばさんが、ふじちゃんがこうなってから言っていた話。
H20年の秋に練習で一緒に歩いていたけど、歩くのがすごく遅くなって、お母さんに「歩くの遅いじゃん」というと「歩けないんだよ~」って笑っていってたんだよって。

H20年10月の四国八十八ヶ所は問題なく行ってきた。
最近見つけた引き出しに入っていた写真をみると、能面のような顔だった。
このとき、折りたたみの軽いリュックが欲しいと言って、一緒に買いに行ったけど、もって行かなかったみたい。
買ったのわすれちゃったみたい。


それから、手のことはあまり言わなくなって、治ったって言ってた。
H21年4月の四国八十八ヶ所の数日前に、「もうすぐだね」って電話をすると、「歩けなくなっちゃった」と。
とりあえず整形外科に行ったら、膝に水が溜まっていて、抜けば治るとのこと。
「四国八十八ヶ所は、先生が行っても良いって言うから、行ってくる。」と声を弾ませていた。

~つづく~

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梅雨とともにダウン。

梅雨で天気が悪いとうつうつした気分になる。

昨日は、夫が来ていてふじちゃんの相手をしてくれた。
ふじちゃん上機嫌で、動かなくなってきた口で「ふーんふーん」となにやた歌っていたらしい。
そういえば、妹と美空ひばりのTVを見ていたときも、一緒に歌っていたらしい。
そんな日々のふじちゃんの貴重な出来事を喜ぶ余裕がなくなっていた。

うちの姉妹、姉の私は子供がなく、妹は独身。
昨日の夜は、そこに執着。孫がいないからふじちゃんがこうなったとずっと考えてしまう。
考えても仕方ないのにね。
その後新展開、私には子供がいない。きっとさびしい老後になってしまう。
何を生きがいに生きていくんだろうとか考えはじめた。

朝、夫にその話をしたら、「人生は日々のことをたんたんとやっていくだけ」と言われた。
そうだ先のこと、過去のことばかり考えても仕方ないじゃん。
考えるのをいい加減やめたい。
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ふじちゃんの今までのこと②

ふじちゃんは、寝たきりなので、前開きの服を着ている。
前開き服を探すのに、たんすの整理をしていると、同じような形の服がたくさんで出来た。
下駄箱も片付けると、履いてない値札のついた靴もたくさんあった。
たぶん、買ってたんすにしまって、忘れてしまったんだろうなあ。

もう着れないじゃん。
高い靴もあったけど、もう履けないじゃん。


ふじちゃんの介護をしていて、悲しいのは、ご飯食べらないこと・うんこ、おしっこが自力でできない・着れる服が限られる。何か悲しくなる。
せめてご飯食べて、うんこおしっこが自分でできていてくれたらなあと思う。


昨日、ふじちゃんの免許証を見たら、4年前に更新していた。
このとき、すでに能面のような顔をしていた。
年取ったなあと思ったのは、能面のような顔になっていたからだったんだ、とわかった。
この頃、パキパキ動いてたふじちゃんの動きが、なんかスローモーになったなあという感じがあった。

電話をしていて、話し方がゆっくりになったなあと思って、脳の何か?と思って、「大丈夫」と聞いたことがあった。「両手動くから大丈夫」とふじちゃんが手を動かしてくれた。
ハチに比べて、動かす速度が遅いのが気になったけど、両方一緒の速さだから大丈夫かと思ってしまった。

話がゆっくりなのも、ちょうど入れ歯を入れた時期で、そのためかなあと思ってしまった。
ただ、「お母さんて認知症かな?」となんとなく妹に聞いたことがあった。
理由は全くなかったけど、なんとなく思った。

妹は「あれだけ、しっかり家計簿つけているし、駐車場の管理もしているから大丈夫だよ」と答えた。
私も、それから、ふじちゃんがちょっとスローモーだけど普通に暮らしていたので、やっぱり違ったって勝手に決めていた。
大好きな旅行も行っていたし。
でも、このとき、認知症と思ったら、病院連れていったのかな?
ただ、もっと疑っていたら、ネットで調べることはしたかもしれない。

自分の親、しかも、ふじちゃんはこのとき、67歳。
この年齢で、自分の親が認知症になるなんで、私には考えつかなかった。

最近思い出すと、この頃から、洋裁をやらなくなっていた気がする。
暇さえあれば、洋服を作っていたが、小さな袋をたくさん作るようになっていた。
もともと、洋裁でご飯を食べていた人なのでとっても丁寧だけど、袋ばかりたくさん作っていた。
たぶん、型紙とったりして洋服が作れなくなっていたのかもしれない。
編み物もセーターがベストになり、マフラーになっていた。


その後、ビーズのアクセサリーやしじみに布をはって紐をつけたりしていた。
手を動かしているから大丈夫と思っていたけど、ふじちゃんにとっては単純なものにシフトしていったんだと思う。私にとっては、どれも手がかかって複雑なので気づかなかった。

~つづく~
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胃ろうの説明

今日はふじちゃんの胃ろうの説明を聞きに、近くの総合病院にハチと妹と私と出かける。
ふじちゃんは、夫と留守番。

訪問医の先生から、今後何かあったときの対応も考えて近くの方がよいからのその病院の紹介を受ける。
医師不足で科が少なく、外来も老人ばかりになってしまった病院だけど、今後ふじちゃんがガンの手術とか受けるわけではないのでここでよいのかもしれない。

胃ろうは、バンパー型のチューブ式を一回目にはつけて、その後希望で変更するとのこと。
ふじちゃんは、左手が少しだけ動くだけなので、チューブ式でも問題ないと思う。
抗パーキンソン薬、抗精神薬に過敏に反応したこと。
麻酔に対して薬剤過敏なので不安等話をする。
40代位の先生だったが、わかりやすく説明をして、こちらの質問にも丁寧に答えてくれた。
次回30日に、ふじちゃんを連れて行って、胃カメラ、血液、CTの検査をして胃ろうが出来るかどうかの確認をする。


先生の説明中、耳が聞こえないはずのハチが、妙に「ハイ」とか「エエ」とか返事をしていて、それが私には耳障りだった。本当に聞こえているのだろうか?
話を聞いて相槌をうっているというより、だた「ハイ」と言っている感じがして仕方なかった。
普段会話をしていて、ハチはあんなに相槌はうたない。



帰りに「お父さん、先生の話、聞こえていた?」と聞くと
   「今日は、よく聞こえた」という。なぜか怒っていた。
   「じゃあ、胃ろうってどうするかわかった?」
   「胃の手術をする」
   「どういう手術?」
   「そんなに専門的なことはわからない!!!」
ものすごくお怒りモードになってしまったので、話すのをやめた。

でも、妹が手術はどのくらい時間がかかるのかと聞いて、30分位と先生が答えた直後に同じ質問をしていた。

内科の受診も一人で行っているが、あの調子で返事してたら、先生は聞こえていると思う。
よく、「どうだった?」と聞くと、「よく聞こえなくて途中から聞いていなかった」と答えることが多い。


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ふじちゃんの今までのこと①

ふじちゃんがどんどん悪くなっていったことを書くのは辛いけど、書いて吐き出さないと次に進めないので、少しずつ書いていきます。

今回は、ふじちゃんが変だと感じたこと。

5年くらい前。

一緒に山梨に美術館と印伝を見に行ったとき。
美術館をゆっくりみたため、お昼を食べる時間がなくなったので、急いで印伝を見て財布を一緒に買って、遅いお昼を帰りの電車で食べることに。
本当はほうとう食べたかったんだけど、私かふじちゃんが用事があったのだと思う。

駅のパン屋さんでパンを買って、電車をホームで待つ。
ホームのベンチに座ると、急にふじちゃんがパンを食べ始めた。
ふじちゃんは、本当に厳格な人で今までそんなことしなかった。
このときは、「お腹すいちゃったのかな??」と思っただけだったけど、通常のふじちゃんなら、電車に乗ってから食べていたと思う。

帰りの電車の中では、私は爆睡。「寝てばっかりいて話もできない」とおこられたのを覚えている。
そして、ふじちゃんが少し歳とったなあと思った。

そいいえば、この頃、出かけるときに通帳をたくさん持ち歩いていて変だなあとも思った。
ハチが昔の人で、家を空けたまま出かけてしまうので、警戒して持ってきたのかと思ったけど、どう考えても変。
その後、一緒にハイキングに行ったときも、リュックの中に通帳の入った袋を持っていたので、「何でこんなところに通帳持ってくるの?」って怒ってしまったことがあった。

今思えば、ふじちゃんのレビー、この頃から少しずつ始まっていたのかもしれない。
家の中も、散らかっていたけど、だんだん汚くなっていったので、母さん掃除もともと苦手だったなんて思ったり。キャベツもよく腐っていたけど、いつものことと思ってしまっていた。
片付けようとするとものすごく怒られたのでこっそり片付けていた。
友達のお母さんも、古いもの腐ったものが冷蔵庫に入っていると言っていたので、歳のせいとも思っていた。


ハチの起立性低血圧で思い出したけど、ふじちゃんもちょうどこの頃、お寺でコケたと言っていた。
畳で滑って階段を2段踏み外してしばらく起きられなかったと。
たぶん、畳で滑ってのではなくて、低血圧で倒れてしばらく起きられなかったんだと思う。
打ったところが紫色になっていたが、大丈夫と言っていた。
すぐにまた、友達と出かけていたので気にもとめていなかった。


~つづく~
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もしかして症状?

みずきさん、HOKEHOKE先生色々ありがとうございました。
勉強になります。
世話好きで曲がったことが大嫌いだったふじちゃんは、お役に立てたこと、きっと喜んでいると思います。


ふじちゃんは、おだやかに過ごしています。

今日もハチの話。

ハチと話をしていると、穏やかに話が出来るときと、ものすごくお怒りモードになって話が出来ないときがある。これって、レビーの日内変動って症状かも。

基本ハチは穏やかな人なので、会話をしていて怒ってしまうことはなかった。
今は、耳が遠いのもあるが、お父さんと呼ぶと穏やかに返事が返ってきて会話が弾むときと
「なに~」と迷惑そうな返事で全く会話にならないときがある。
「どうしたんだ!!」と思っていたが、症状なら仕方がない。(勝手に判断)

さっきも、前立腺の先生に起立性低血圧で倒れたことを相談に行こうと話したら、超お怒りモードで話にならなかった。
自分ひとりで行くから良いと言ってたけど、耳が聞こえないし、どうやって相談するの。
とりあえず、明日病院に電話して、先生の来る日を確認して受診の予約をとることにした。

自分の親だけど、少し離れた目でしっかり様子を見ていこう。
ふじちゃんのときは、何とかしてあげたくて冷静な目で見ることができなかった。

ふじちゃんはこんなになってしまったので、ハチは、少しでも長く穏やか過ごしてほしい。
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ハチ倒れる

昨日、ハチ(79歳)は認知症の念のためのCT検査。
妹とハチで受診。


CTの結果、前頭葉にしわのようなものがあり、3年先くらいにアルツハイマーになる可能性が
あるとのこと。
飲まなくてもよいが、アリセプト3mgを飲んで進行を遅らせるようにしてみましょうとのこと。


家に帰ってきて、少しショックだったのかしょぼんとした感じのハチ。
妹と夕食の買い物に行って帰ってくると、妙に顔が赤い。
ひとりで晩酌をしたらしい。
前立腺の薬を飲んでいるので、お酒(特にビール)は尿閉の可能性があるのであまり飲まないように
と主治医から言われていた。
尿閉は前科1犯。

昨日は、いつもの日本酒少しに加えて、ビールを飲んでいたらしい。

夕ご飯を食べた後、なんだらふらふらした感じがした。
妹と夕ご飯の片付けをしていると、バタンと大きな音。

「何?」
廊下にハチが倒れていた。
言っている事がおかしくて、生あくび、冷や汗、そのまま立てないし。
救急車を呼ぶことに。
救急車呼んだからと言っても、よくわかってないし…。

病院に搬送されると、血圧70と低い。
今日二回目のCT、その他の検査。
起立性低血圧で倒れたとのこと。

先生によると、前立腺の薬とビールで起立性低血圧になる可能性もあるとのこと。

前立腺の薬が原因ならいいけど…。
起立性低血圧って、ハチのレビーもちょっと心配になった。
ハチの様子もよく観察していこうと思う。

アリセプトも次回の通院が3週間後なので、1週間様子をみてから始めようかと思っている。
3mgではなく、1.5mgではじめたほうがいいのかな?

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変化

今日、ヘルパーさんとふじちゃんのおむつ交換しているとき、
ふじちゃんに台所のほう向いてというと、頭を台所の方に向ける(ここまではいつもどおり)
その後

なんと、動かなくなったはずの足を組んでくれて、体の向きを変えやすくしてくれた。
ヘルパーさんとびっくり。
足動かしてくれたんだね。ありがとう。

私が落ち込んでいる間にふじちゃんは進化している。



今、パソコン開いている隣で、「ありがとう」「ごめんね」と言った。
こういう会話は復活して初めて。

「私のほうか、薬をやめさせなくてごめんね」というと
「いいよ」と言ってくれる。

「命が終わるかも」なんて物騒なことをいうので
「体動かなくても生きて」とおねがいすると
「うん」と言ってくれた。

「今日一日楽しかった」と聞くと「まあまあだね」と答えてくれた。

うれしい一日でした。
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気分は落ちまくり

昨日は、妹と夫が泊まり、三人で母の様子を見守る。

最近、母は経管栄養の夕食のときのムセが激しい。
唾がたくさん出てむせる。
朝、昼はほとんどムセがないが、夕食後がかわいそうなくらい。
特に、通所リハから帰った日が多い気がする。
疲れてしまっているのか???

妹が唾をプーっと出すように教えると、一生懸命プープー吐いていた。
手が動かないのでパジャマの襟は唾だらけになっていたけど…。
結構笑えた。

夜は、2時ごろから妹や私、夫の名前を連呼。
「起こしてください」と言い続けるので不眠気味。


寝不足だと、思考も低下。
悪いほうへ進む。

また、なんであの時、薬やめさせられなかったのか。
パーキンソンとうつの診断信じたのか?がぐるぐる回る。

気分転換に、銀行や買い物に行くが、昼間のスーパーは高齢者だらけ、
それを見ると何で母はこうなったんだ?
調子が悪いのに、一人でここに買い物にきてたんだなあなんて落ち込む。

スーパーで農家の人の手作りのらっきょを買う。
母はらっきょを漬けるのがとても上手だった。
友達の分も作って配っていた。
らっきょは母の味とは少し違った。
かりかりとした歯ごたえ、もう少し甘みが欲しい。
去年、手と膝が痛いから作らないと言っていたが、皮を私が剥くからと言っても
作らないと言い張った。
たぶん、作れなくなっていたのかもしれない。
あの時、無理に作っていれば、認知症だったのわかったかもなんてまた落ち込んでいる。


母がこうなったことをしっかり受け入れて、母の味を受け継いでいくとこが
今の私に出来ることかもしれない。

体を動かさないと自分が壊れそうなので、庭の草をとった。
花が好きだった母の庭が荒れ放題になったいた。

そういえば、去年、一緒に草をとっていたが、少しやると手が痛いといって家の中に
入ってしまっていた。
また色々考えている。

今日は、考えてしまう日みたい。




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今日はゆっくり

ふじちゃんは、通所リハでお風呂の日。
私は、久しぶりに友達とお昼を食べることに。
息抜きの日。

ハチは、もともと粗食なので、ご飯と味噌汁と簡単なおかずを用意してGO。
天気が悪くて、ふじちゃんいないとどよよーんと落ち込みオーラが出るので出かけるのがいいみたい。

色々話していくと、彼女のお義父さんも認知症。
お義母さんが介護しているみたい。
5年位前から少しずつ進行しているらしい。

彼女の友だちのお母さんはレビーだったみたい。
今までこんな話しなかったけど、介護の話をたくさんした。

そんな私たちもいつ認知症になるかなんてわからない。
認知症に限らず病気になるかもしれない。
日々大切に生きていこうとふと思った。
くよくよしていると人生終わっちゃう。


そういえば、今朝、ふじちゃんが「朝ごはんは?」というので
味噌汁を少し飲ませてみた。
スプーン3杯だけどおいしそうに飲んでくれた。
少しだけでも味わえるといいな。
「おにぎり食べたい」「ハンバーグ食べたい」ともいうけど。
ふじちゃんのハンバーグ美味しかったな。
作り方聞いておけばよかった。

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ヘルパーさんと車椅子。

ケアマネさんにお願いして、ヘルパーさんと車椅子に乗せたいと相談。
毎週土曜日、30分を1時間にしておむつ交換にプラスして車椅子に少し座らせてもらう時間を作る。

今日は、車椅子の移乗がヘルパーさんと私で出来るかケアマネさんが確認にきた。
ベテランのヘルパーさんなので、私は尿のバルーンの管を持っていて少し支えるだけで移乗完了。
やっぱりプロだ。
教えてもらえば、ハチと二人のときでも出来るかも。

そうすれば、昼間散歩が出来る。
少し期待が膨らむ。
車椅子に座らせる事ができれば、服も前開きじゃないのも着れる。
ふじちゃん、2年前位から少し変なところがあったけど、洋服の買い方も尋常じゃなかった。
たぶん、買って、たんすにしまって忘れちゃっていたのかも。
同じような形の服がたくさん引き出しから見つかった。
しかももぐるタイプ。

もともとおしゃれだったので、おしゃれな服が多かったけど。
着ないのももったいないので着せてあげたい。

そういえば、2年前の冬から来ていたコートのセンスが???って感じだった。
今までのふじちゃんだったら絶対買わないようなもの。
なんでこんなの着てるのかなと思ったけど、たぶん変だったんだと思う。





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初リンクです。

右のリンク欄に初リンクです。
新・和ちゃんと一緒に!! 野田明宏の介護日記
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車椅子で外にでる

病院から退院して、私の落ち込みが激しくて、ふじちゃんを車椅子に乗せるのは、
通所リハの週2回だけになっていた。


昨日の夜から、夫が来ていたので、夜と今日の午後車椅子の乗せてみた。
母に乗ると聞いたら「うん」と言ってくれたし。

昼間、玄関から外に出てみた。
母はどんな気持ちかわからないけど、ハチはうれしそうだった。
車椅子に乗った母の顔はしっかりしている。

病院で起立性低血圧がひどいので、リクライニングの車椅子しかのせてもらえず、
体も伸びたままなので、リクライニングの車椅子を使っている。
車椅子に乗っていると、伸びた膝を曲げたり、パタパタ自分で動かそうとする。
乗せていれば、普通の車椅子にも乗れるかも???

二人がかりでやっと移乗しているので、ヘルパーさんや妹、夫がいるときに積極的に
車椅子に乗せていこうと思う。
ハチと二人のときは、ベッドサイドに支えて座ってもらえばいい。

今や起立性低血圧も問題ない感じなので、普通の車椅子に乗れたらいいなと思う。
そして、車に乗れるようになったらいいな。


こういう気持ちになったのは、同じレビーのお義父さまを介護している方にメールして
こんなメールをいただいたから。


…みやさん、お母様のこと末期というのはやめませんか?
癌などと違い、進行は人それぞれで、良くなる可能性が多大にあると私は思います。
もちろん、根本的なレビーはなくならなくても、認知症はまだまだ未知の病気で、特にレビーは劇的改善の奇跡を秘めています。
私は義父は車いすで、胃ろうで、認知機能は壊滅的ですが、あと5年は生きると思っています。
残念なことに(笑)
末期って言葉はネガティブで気力をそいでしまいます。
私は義父に対してポジティブな声かけを心がけていますが、言葉って普段から使っていないとでてこないものです。
ポジティブな言葉は、心を豊かにしてくれて、それが相手に伝わります。
「辛い」とこぼすお母様にたいして、なかなか難しいかもしれませんが。


このメールをもらうまで、母は、もうだめなんだって思っていた。
超ネガティブだった。
だけど、家に連れて来ただけで何もしていないことに気づいた。
毎日寝かせたきり。
家なのに病院と同じだと気づいた。

母をもうどこかに連れて行ってあげることは出来ないと思っていた。
でも、車椅子に乗れて、車に乗れるようになれば連れて行ける。
あきらめないで粘り強くやってみようと思った。






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責める自分

ふじちゃんが急激に進行して、それを受け入れられない自分。
十分に親孝行できなかったことを責めている自分。
薬をやめさせられなかったことを責める自分。
とにかく自分を責めていた。

責めすぎてやる気がなくなってしまった。
ふじちゃんの認知症の先生に相談にのってもらっている。

前を向けないという話をしたら、
認知症は、出来ることがひとつひとつなくなっていく病気。
これらかもっと辛いかもしれないよ。
それは、どの段階でわかったとしても同じかもしれないと。
とにかく介護者が健康でいることが大事。と言われる。

確かに、自分の親がじわじわと出来ないことが増えていくのも辛いのかも。
急激に悪くなるとのまた違う辛さがあるのかも。



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こういうときって。

11月のはじめまで元気だったふじちゃん。
今年の1月10日までは普通に話をしていた。

そんなふじちゃんが寝たきりに。しかも経管栄養と尿もカテーテルがついてしまっている。
ふじちゃんの友達、親戚もちろん私たち家族もまだ信じられない。
落ち込みは激しい。
なかなか心を切り替えるのむずかしい。
心は弱っている。


弱った心に入り込んでくる人っているんだなあと思った。

昨日、妹の同級生のお母さんという人が突然訪ねてきた。
お母さんの具合が悪いと、おば(母の義姉)から聞いたとのこと。
先祖供養をしっかりしていないから、母はこうなり、私もやがてそうなると言われた。

弱った心の私は、そうしていけば自分が楽になるのだったらすがりたいと思った。
だけど、先祖供養をしても母は戻らない。
母がこうなったことに、理由なんてないんじゃないのかなとふと思った。
確かに、誤診と薬で運は悪かった。だけど、母の生き方が悪かったとかそういう理由はないような気がした。
原因や理由を考えるから苦しくなるし、辛くなる。
あの時あーしなければ、と思う。

野生の動物が死んでいくのに理由がないのと同じように、母が認知症になってしかも誤診で寝たきりになって
しまったことも、理由なんてないんじゃないかと。

理由を探せば確かに見つかる。
だけど、その理由で母がこの病気になったかなんで誰もわからない。
しかも、誤診がなかったら今も元気だったかも誰もわからない。
あの時、あーしていれば大丈夫だったかもわからない。

どうしてこうなっているのか?
何でこうなってしまったのか?と自分の頭の中で考えるのをやめようと思う。
考えれば考えるほど辛くなる。
そして、今の大切な時間を失っていく。

理由なんてなくてもいいじゃん。
たまたま母がなった病気が認知症だった。
そして、たまたま誤診されて悪くなった。
ただそれだけ。

普通の状態じゃないけど、生きていてくれている。
だから、今の母を大事にすればいい。
だだそれだけ。






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ハチの手術

ハチは今日と明日の1泊2日で瞼の手術。
緑内障、白内障の手術をすでにその病院でしており、今回は瞼がさがってきてしまうのでその手術。

日程をハチが勝手に決めてきてしまったので、ふじちゃんのショートの予約も入らなかった。
私はふじちゃんの介護、妹と旦那は仕事を休めない。
仕方がないので、ハチはひとりで手術をがんばってもらうことになった。
15分位のオペらしい。

病院までは、夫が送ってくれた。
79歳のハチは、耳の遠いおじいちゃんなのでちょっと心配だけど、
病院に状況を説明してお願いした。

3時過ぎからオペ開始だけど、大丈夫かなハチ。
夕方、夫か妹に様子を見に行ってもらおう。
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プロフィール

みや

Author:みや
レビー小体型認知症で2ヶ月で寝たきりになった母を自宅で介護。3年の闘病の末、母は73歳で旅立ちました。
現在、83歳の父が微妙なかんじです。

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