レビー小体型認知症で、あっという間に寝たきりになった母を三年の介護。2014年に母は、旅立ちました。83歳の父もそろそろ微妙な感じです。

母さんの笑顔



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ふじちゃんの今までのこと⑤

今日は、勢いで書いてしまいます。
書いたら夕飯の支度しよっと。

ふじちゃんが八十八ヶ所に行ったH21年の4月。私にも転機だった。
ここからは、超愚痴です。ごめんなさい。


知的障害の福祉施設で事務をしていたが、上司のわけのわからなさに疲れてしまった。
女子4人のうち3人がやめることになっていた。
わたしは、あと1年勤めてから1年休んでふじちゃんと過ごそうって漠然と思っていた。何の根拠もなかった。
たぶん、今までならそうした。

そのときは、夫の友人から家の近くで土日休みで4時半に終わる事務があるという話をもらう。
ちょうど、ピラティスの仕事が夜入るようになり、ちょうどいいかなと思った。
前の職場が事務のままだったら、転職はしなかった。
突然、事務ではなく相談の仕事をという異動がでた。
やりたい仕事だったけど、帰りが遅くなりピラティスの仕事もできなくなるので、勢いで転職した。

この転職先が最悪だった。
土日休みのはずが、土曜は半日しか休みがなく、就業規則もない。
面接のとき、休みたいときに休んでよいからなんていったけど、誰も休まない。
専務のワンマン経営。
とっととやめればよかったのに、知り合いの紹介だったんのであと少し勤めたらと思っていた。
胃の調子も悪くなっていた。

今までだったら、実家に金曜の夜から日曜の夜まで月に1回は泊れたのに、土曜の夜に泊るくらい。
しかも、土曜の午前が使えなくなると、色々支障が出できて、日帰りが多くなった来た。
もっと泊りたいな。と思ったけど仕方ないと思っていた。
母さん調子悪いけど、膝だし、あと少し勤めたらやめてもっと一緒にいようと思っていた。

たぶん、私もこの頃精神的に疲れていた。
今までに出会ったことのない高圧的な専務。
ふじちゃんのことを考える余裕がなかったんだと思う。

嫌だったら早くやめればよかったのに、大事な人を大切にできなかった。
ずっと、大事な母さんを後回しにしてきた私。
それが、私の生き方なのかもしれない。


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ふじちゃんの今までのこと④

昨夜のふじちゃん、わずかに動く左手で小さなクッションをベッドの下に落としてくれました。
何度かしつこく手元に置くと、何度も落としてくれました。
妹には、「どっかに連れてって」といっていたようです。
両手の震えが激しく、口元も少し震えが出るようになってきました。
口も開きにくいようで、言葉が聞き取りにくくなってきています。
ベルマッックスを少量飲んでいますが、効かないみたい。




H21年4月のこと。
四国八十八ヶ所3回目。膝が痛いので長い階段を上がれずにバスで待っていたお寺もあったみたいだけど、何とか行ってこれたふじちゃん。
「膝が治ったらまた行けば良いじゃん」「もういいよ~」となんかいつもと違う返事。
いつもなら、良くなったらまた行くよ。と言ったと思う。
京都のお寺にお参りに行って、八十八ヶ所は終わりになるって言ってたけど、もう行かないと言っていた。
その後、八十八ヶ所の話をしてくれることはなかったなあ。
いつもなら、旅の思い出を見せてくれるけど、何も見せてくれなかった。

後で、一緒に行った近所のおばさんが、旅館で自分のタオルと人のタオルの区別がつかなくて、変だなあとおもったんだよと言ってくれた。私に言おうかと思ったけど、何かの間違いかもしれないとおもって言えなかったって。(言って欲しかった。離れて住んでいたから仕方ないけど)
たぶん、ふじちゃん嫌な思いしたんじゃないのかな。辛かったね。


家に様子を見に行くと、歩いているんだけど、体は上体が半分に折れてオラウータンみたいな歩き方をしていた。膝が痛いだけでこんなになるんだろうかと思った。

「本当に大丈夫なの」「大丈夫だよ」って笑顔。
しばらく整形外科に膝の水を抜きに通院するからとのこと。
そんな状況だったから、ハチが送迎していると思っていたけど、はじめはハチが送っていったみたいだけど、途中からはふじちゃん、自転車を押して自分で行っていたみたい。
大変だったよね。しんどかったよね。ごめんね。

4月~始まった通院も6月には終わり、ふじちゃんの歩き方もオラウータンから少し足を引きずっているくらいになっていたので、良くなったって思っていた。

その矢先「中学生と自転車同士でガチャーンってぶつかって、右手と右肩を強く打っちゃったよ」って。
しかも、数日経って、実家に行った時に話してくれた。
体は、整形外科で見てもらったらなんでもなく、ただの打撲とのこと。
自転車をなおしてきてというので、自転車屋さんに自転車を運んだ。

それから、水が溜まった右ひざとぶつかった右手、右肩がすっきりしないと、友人の紹介で鍼灸医に通いはじめた。実家に帰ると、腫れが引いてよくなってきているからもう少し通ってみると。
オラウータン歩きと比べたら、スムーズに歩けるようになってきていたので、効いていると思っていた。
時々、足が貧乏ゆすりみたいに震えるんだよって言っていたのに、気にしてなかった私。
リウマチの人みたいに足がむくんでいたので、リウマチと思ったけど、検査の結果はリウマチでなく、勝手に大丈夫と思っていた私たち家族。

それから、翌年のH22年9月までふじちゃんは、週一回鍼灸医に通っていた。
手も肩も足も大部良くなってきたんだよって言ってたけど、判断する力がなかったのかも。
足も水じゃなくて、動かなくなっていて、手も肩も打撲の後遺症じゃなくて、病気で動かなくなっていたんだと思う。ふじちゃんの思い込み。気づいてあげられなくてごめんね。私たちも思い込み。
友達が言うには、手も震えていたんだよって。

そういえば、鍼灸に行こうと思ったとき、急に足に力が入らなくなって歩けなくなったことがあったんだと言っていた。腱鞘炎といわれたよって言ってたけど。

鍼灸も、動かない体で、はじめはハチに送ってもらったり、タクシーで行ってたけど、良くなってきたからリハビリで歩かなきゃと言って、バス停まで10分位歩いてバスで行ってた。
土曜日なら私の仕事休みだから、一緒に行こうといっても、自分で行くから良いよと言って行ってた。
動かない体で、足を引きずりながら、ゆっくり歩いてバスで通っていたふじちゃんを思うと、かわいそうで泣けてくる。

うちの家族、ふじちゃんの友達、親戚、近所の人、みんな膝と手が治らなくて変だと思っていた。
なんでこんなに長くかかるんだろうって。
他の整形外科に受診させていたら。
ふじちゃんの様子をもっと本人に聞いていれば。と今になって思う。
鍼灸の先生も後で聞いたら81歳だった。ふじちゃんの訴えを聞けていたのだろうか?
ふじちゃんついてない。

ひとりぼっちで良くなることを信じてポジティブに通院していたふじちゃん。
膝だから大丈夫と思っていた娘。本当にごめんね。


~つづく~





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プロフィール

みや

Author:みや
レビー小体型認知症で2ヶ月で寝たきりになった母を自宅で介護。3年の闘病の末、母は73歳で旅立ちました。
現在、83歳の父が微妙なかんじです。

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