レビー小体型認知症で、あっという間に寝たきりになった母を三年の介護。2014年に母は、旅立ちました。83歳の父もそろそろ微妙な感じです。

母さんの笑顔



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昨日からちょっとおとなしい母

昨日はデイの日。
帰ってきてからいつもはお話をしてくれるのに、昨日はなんか静か。
夜も良く眠ってたけど、静か過ぎるよちょっと心配。

今日も、あんまり話してくれないし、ぼーっとした感じ。
夜になって、「何かける?」「毛布」と答えてくれた。
デイはありがたいけど、何してたのかなってちょっと心配になる。
母さんも、私が小さい頃こんな気持ちで幼稚園に預けていたのだろうか?
そんな気分。

今夜は、もう、すやすや寝ている。何事もなく穏やかに眠っている母さんを見ると、幸せな気分になる。
そんな母の寝顔は見ていて、見飽きない。
時々大きなあくびをしたり、何かを食べているような口をしたり。
何にも出来なくなっちゃったけど、本当に大事な存在。









  1. 母のこと
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偶然

母のことを色々考えると辛くて涙が出てくる。
だけど、考えても何も変わらないことに気づいた。
なので、考えそうになったら止める。ボーっとして考えないようにする。

そうすると体がとっても楽になってきた。
「これって現実逃避?」と思った。
たまたま、友達にそんなことを聞いてみた。そしたら彼女も「辛くて辛くてどうしようもないことがあって、考えないようにしたら楽になったんだよ」って言った。
同じ時期に同じようなことを考えていたので、少しびっくりだったけど。

「考えても変わらないし、考えてもどうしようもないことってあるよ。だから考えなくていいと思う」と彼女は話してくれた。
良くわからないことだらけの世の中のことを、小さい私の脳みそで考えてもわかるわけないかと思った。
考えて体を壊していくより、考えずに楽になっていくのならそうした方が良さそう。

去年の10月くらいから母の体調がどんどん悪くなっていったので、去年のことを振り返ってブログに書いて自分の気持ちを整理しようとしていた。そしたらどんどん辛くなって、どうしようもなくなってしまった。
だから、過去が振り返る必要がある日が来るまで、過去は封印することにした。
なので、母の経緯や去年のことは中途半端に終わっている。ごめんなさい。

そして、今の母を中心に家族が快適に暮らせる方法をしっかり考えいく。
  1. ふじちゃんの経緯
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バランスボールのリハ

今日は、ふじちゃんのケア会議を家でした。
ヘルパーさん、訪問看護、ケアマネさん、ショート、デイと5名の方と家の姉妹。
話していくうちに、訪問看護のナースがふじちゃんを車椅子にもっと乗せてあげたいと思っていてくれたことに感激。そして、この前1回やってくれたバランスボールのリハも膝が曲がるようになったら、車椅子に楽に乗れるからと考えていてくれていた。

今日は、訪問の日だったので夕方、リハをしてくれた。
大きいバランスボール2個を腿の下とすねの下あたりに入れて、両足をゆさゆさゆする。
母の場合、左右交互がいいみたい。
やっていくうちに、伸びて上がってしまった足が、少しずつ下りてきた。
右足は少し膝がゆるんで曲がっている。
しばらくやってから「いちに、いちに」「ぱたぱた、ぱたぱた」と声をかけると自分で足を動かしていた。
これには、びっくり。
まだ動かせるみたい。
しばらく、このリハを続けてもらうことになった。
やってよかったら、家でもやってみる予定。

まだまだわからない、母の可能性。

ケア会議では、事業所の方から口々に、最近、意思表示がしっかり出来ているので、意志を確認してケアをするようにしているとみんなが言ってくれた。妹ともここのところ、コミュニケーションできるよねと話していたので、みんなもそう感じでいてくれていたうれしかった。
だいだい、悲しそうに「いや~」というか、かわいい声で「うーん」「ありがとう」が多いみたいだけど、それだけでもうれしい。
  1. 母のこと
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最近の母

母は相変わらず、歯がガチガチなっている。手も小刻みに震えている。
口が開きつらくなっているので、言っていることがわからないことが多い。
ただ、私がそんな状況に慣れてきた。

なので、オムツ交換のときも「おしっこでた?」「みていい?」と聞くと母が「いいよ」「みて」とか言って会話になる。たぶん、今までは私が受け入れられなかったから、会話をしようとしてなかったのかもしれない。
そんな些細なことでも、会話して母さんの存在を確認している感じ。

妹や訪問看護のナースはそういう会話を早い時期からやっていてくれた。
聞いてもわからないよとか思っていた私。
でも、わかっていたのだ。
「おしっこみて」と言う時はだいたいでてる。

今を大事にしようと改めて思った。

ただ、ちょっと困るのが3時ごろに起きて、「おーい」「はやく」とか呼ぶ。
今日は、寝そうになるのを阻止しているけどどうなるかな。
この調子だと私の体が持たないので、ムセて居ないときは、別の部屋で寝て、体交の時様子をみている。
夜は寝て欲しい。
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母さんの笑顔

昨日の夜。
母が声を出して笑った。3月はじめに入院中笑って以来。
もう、笑えなくなってしまったと思っていたので、うれしかった。
目撃者は夫。私は、台所に居たので大きな声を聞いただけ。
走っていったら、少し微笑んだ顔をしていた。

昨日は、ピラティスのレッスンがあり、夜、母さんは夫と父と3時間半お留守番。
「早く帰ってきて」と泣きながら言ってたみたい。
「かえるよー」と電話すると「気をつけて。なるべく早く帰ってきて~」と。
そこから、「はやく、はやく」と興奮状態。
家に着いたら、安心してくれて穏やかな顔になっていた。

夫と遅い夕食をとった後、母さんと意味不明のおしゃべり。
しばらくして、眠ったと思ったら、目を大きくしてあたりを見回していた。
夫が「足が変なになってるよ」って言ったら、突然声を出して笑った様子。

また、笑ってくれるといいな。

夫とふじちゃんをみているとき、もし子供がいたらこうして二人で育てたのかなと思う。
おむつを交換しているときは、母さんはこうして替えてくれたのかなとありがたく思う。
母さんのことは悲しい、でも今はそんな時間が少し幸せだったりする。

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母の同級生のおじさん

洗濯物を取り込んでいると、母の小学校の同級生というおじさんが話しかけてきた。
「お母さん、どう?」
「寝たきりになっちゃいました。」
「そうなんだ。あんた達大変だね。」と言って去っていった。

母が、今の状況になるまでの私のスタンスもおじさんと同じ。病気や障害を持った家族を抱えている人に会って、大変ですねと言っていた。その言葉の裏には、あなたは大変ですね、でもわたしの家族は大丈夫。みたいな思いがあった。今考えれば馬鹿だったなあと思う。
みんな同じ人間、いつ何があるかなんてわからない。
自分は大丈夫なんて保障はどこにもない。

母がデイに行って、父が下痢でおなかが痛いと言って機嫌が悪い。曇りだと気分も落ちる。
また、去年母がどんどん悪くなっていったことを思い出し、ぐるぐる考えていた。
考えても仕方がないのに。

考えていてふと思ったこと。今までは、ある程度自分で想定できる範囲でしか人生を歩んでなかった。
子供が出来なかったことは、想定外だけど…。
母がこうなって、全く想定外、理解不能な状況になった。人生って理解しようと思うから、意味を考えるから辛くなるんじゃないのかなって。想定外、理解不能が人生なんだと思った。
だから、理解しようとしちゃいけないのかもと思った。

人生ってはかない。でも、はかない人生だから自分に与えられた時間を大事に自分の人生の使命を果たせるように生きたいと思った。
母の介護が出来るのは、妹や夫の協力があるから、そして、父が元気でいてくれるから。
そのことを感謝して、母の帰ってくるのを待とうと思った。
暴飲暴食でおろそかになっていた自分の健康にも、もう一度目を向けようと思った。

母は、自分の体で、母の病気の怖さを私に教えてくれているような気がしてきた。私の性格は母に本当に良く似ている。もしかしたら、私は母よりもっと若く認知症になる可能性があって、このままじゃだめだよっていってくれているような気がする。
スロージョグしたり、食事に気をつけたり、人に会って話をしたり、出来る努力は惜しまないようにしようと思う。




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ふじちゃんショート中に思ったこと

ふじちゃんがショートに行くと、家の家族はそれぞれの暮らしに戻る。
夫と数日過ごして、今まで当たり前だった生活がどんなに幸せだったのかと思う。
当たり前のように夫と二人で暮らせていたのは、ふじちゃんが元気に暮らしていてくれたことの上に成り立っていたんだなと今さら思う。

ふじちゃんが施設に入所したとすれば、夫との生活が戻るんだと思う。
でも、もう元気なふじちゃんの支えはないから、いくら同じように暮らしても、前みたいな手放しの幸福感ってないんだろうなあと思った。
ふじちゃんと離れるつもりは今のところないけど…。

妹がこの前、出張で神戸に行って来た。鉄板焼きを食べてきたよって言った後で、「母さんと一緒に行きたかったな」とひとりでつぶやいていた。
そうなんだよね。それが出来なくなっちゃって辛いんだよねと思った。

今は、すやすや眠るふじちゃんの寝顔、一生懸命会話しようとしてくれているところ、そんな時間がほっこりする時間かな。いつまでそんな時間が続きますように。
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ショート無事終了

3泊4日のショートを終えて、ふじちゃんは昨日の2時過ぎに無事帰宅。
ふじちゃんのところのショートは、出発が12時少し前、帰宅が2時。もう少し長く預かって欲しいなあとも思う。

ショート中は、オムツでなくて布パンツにしてくれたり、昼食のみだけど、居室じゃなくてリビングみたいなところで胃ろうの注入をしてくれたり、色々やってくれてうれしい。
みんながリクレーションしている時間も見学でリビングに居たみたい。
だんだん慣れてきて、色々やってくれているようです。

ふじちゃんも、帰ってくると良く喋っていた。
妹が家にいたんだけど
「ひとり忘れてきた」と帰ってくるなり言ったそうで「誰?」と聞くと、「○△子」と私の名前を言ったそう。
施設でも、もう帰りますからねとスタッフの方が言うと、「早く帰ろうよ~」と言っていたみたい。

家族のリフレッシュとふじちゃんへの刺激でショートはやっぱり必要だなあと思う。
ちょっと残念なのは、左手の指が重なって傷ついてしまうのでといっておいたんだけど、重なって紫になってしまっていたこと。紙にも書いてタオルの握らせ方や布の巻き方を渡したんだけど…。
次回はもっとひつこく言おうと思う。



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父の買い物

今日はお客さんが多かった。
あっという間に夕方。買い物に行こうかなと思っていると…。

ハチの機嫌がよくて、買い物に行くのでおかずを買って来てくれるという。
ハチの買い物はお酒とつまみ用の柿の種等。
今日は、魚のストックがあったので、魚を焼くから、あとおかずになるもの買ってきて欲しいとお願いした。

結構長い時間かかって帰ってきた。
焼き魚と味噌汁と漬物があるので、あとはハチの買って来たお惣菜ですませる作戦。

が…。
ハチが買って来たのは、酒とかまぼこと白菜漬とおせんべ、もちろん柿の種も。
えっつ。お惣菜は??????
仕方がないので、大根切干を煮る。

そういえばふじちゃんが、風邪ひいたときとか、ハチに買い物頼んだら、かまぼことキャベツとわさび漬けしか買ってきてくれなくて、おかずにならなかったって言ってた。
まさにそれ。
まあ、白菜漬けもかまぼこもおかずになったからいいとしよう。
母さん、ハチにやられたよとふじちゃんに報告しておいた。

次回は、買ってくるものを紙に書いて渡すことにした。


今日も夕方、散歩+スロージョク。
疲れないし、やっぱり頭がすっきりする。

ふじちゃんは明日から3泊4日でショートステイ。
申し訳ないけど、リフレッシュさせてもらうね。

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スロージョギングの話のつづき

はじめたばかりのスロージョキングですが、今日は母がデイなので、買い物してその後、スロージョグタイムにしようと思ってます。長くても30分くらいですが…。

スロージョグを紹介してくれた、しばさんのブログです。
お母様が母と同じ病気です。年齢も母と同じ位。

スロージョグの掲示板もあるので、是非のぞいてみてください。

レビー小体型認知症の母 突然始まった遠距離介護
http://nonohana7.blog134.fc2.com/

私は、母が普通に生活している状況から2ヶ月で、寝たきりでご飯も食べれない状況になってしまったので、そこから「うつ状態」になりました。
人のもろさを身をもって感じました。
少しはよくなってきているものの、今も天気や人の言動にものすごく左右されます。
頭の中で、いつも自分を責めてばかり、自分だけでなく、母や家族も責めています。
そして、どーっと疲れてその繰り返しでした。
そんな状況だったのですが、スロージョグをすると、その間だけ考えない時間がもてました。
そして、ぼーっとしていた頭がすっきりしました。


考えない時間の心地よさ、頭のすっきり感は、今の私にはとても大事なことに思えました。
「介護うつ」ってよく聞きます。
スロージョグは空いた時間、家の中でも(外の方が気持ちよいですが…)手軽にできます。
わざわざ習いにいく必要もないです。
散歩よりお勧めですよ。
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お勧めです。

母とは関係ないのですが、スロージョキングお勧めです。
ブログで知り合った方のお勧めで、昨日やってみたら、うつうつした頭がすっきりして、程よい疲れでよく眠れました。
私の場合、とにかく頭がすっきりしました。
最近、散歩をしていますが、この頭のすっきり感は散歩では得られません。

家の中でもできます。
今日は、雨だったので家の中を10分くらいですが、ぐるぐる回りました。
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いつも比べている。

母と二人で家にいると、余分なことばかり考えている。
何であの時、気づかなかったのか。とか何で薬のませちゃったのか。とか…。

最近、夕食後に唾がたくさん出て、ムセが激しくなることが多い。
ムセて辛そうな母を見ていると、胃ろうってかわいそう。とか、せめてご飯たべれたらなあ…。
そんなことを考える。
そして、今の母は幸せなのだろうか?


徘徊しても、ご飯食べられて、どこかに連れていけたらなあ何て思う。
でも、それぞれ介護している人は辛い訳で…。

母はまだ家族の顔、友達の顔がわかる。口が動かなくて言っていることのほとんどはわからない。
今朝は、「おばあちゃんちに連れてって」と言ってた。
天気が良い日にまた連れて行こうと思う。
少しでも、会話が出来ると本当にうれしい。

母が快適なこと、うれしいと思うことをひとつずつ積み重ねていけばいい。
その時、無意識に何かと比べずに、母の表情をしっかりみてやっていけばいい。
元気な頃の母、少し前の母。色んな母と比べて落ち込むけど、今日の母は今日しかいないんだと思った。


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久々に良く眠れた。

昨日は、夫の仕事が一段落して、夫が来てくれた。
ふじちゃん、ここのところ、夜中に起きて「おーい」「おきて~」って言うのでよく眠れなった。
見ると、頭も上げているし。すごいじゃん。
おまけに、興奮状態になるのか、唾がたくさん出てムセも激しくなる。
結構へとへとだった。
夕方からピラティスの仕事があったので、夫と父にふじちゃんをお願いして仕事へ。
家から離れて車を運転したり、他の人と話すとリフレッシュするものだ。
月4回のわずかな時間だけど、続けさせてもらってありがたく思う。
ここの仕事場に来ると、元気な頃のふじちゃんを思い出すのでちょっと辛いけど…。
帰りに電話すると、ふじちゃんを出してくれる。
「気をつけてかえってきてね」と。(夫が言わせているけど嬉しい)
口が震えているけど何とか聞こえた。

いつもは興奮状態のお留守番もしっかり出来て、きみまろのDVDを見ていたらしい。

夜中は、夫がふじちゃんの体交してくれることに。

昨夜のふじちゃん、よく眠っていた。三時ごろ「おーい」って言ったくらい。
むせて咳き込むこともなく、ぐっすり。
私も時々目が覚めたけど、良く眠れた。

ふじちゃんの次のショートが来週の火曜日から、それまで頑張るぞ!!
そしたら、3日間は爆睡しようと思う。
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日々想う

最近、「母がいつから認知症だったのか?」ばかり考えてしまう。
5~6年くらい前から、無気力な感じがしてた。
話していると、どこか上の空な感じ。
昔はこういう人じゃなかったって、なんとなく思っていた。
大好きだったダンスをやめたのもこの頃。踊れなくなっていたのかも…。
ひとりで苦しんでいたのかと思うとう辛くなる。


今朝思った。「考えても過去は変わらない。」母は、辛かったかもしれない。困っていたかもしれない。
でも、もうその頃には戻れないんだ。考えるだけ無駄だ。
たぶん、少しずつ色んなことが出来なくなっていったんだと思うけど、そんなときも出来ることを見つけて、工夫して母なりに楽しく過ごしていたように思う。旅行もしてたし、ランチもしてた。だって笑ってた。

だから、もう過去のことのことは考えないようにしようと思った。
頭に浮かんできたら、さらっと流すようにしようと思う。過去に浸りたい自分もいるけど。
これが、過去を振り返らないってことなんだと思った。


母が認知症とわかって、今まで「何で?」と思っていた謎が解けた。
認知症だったからだったんだと。
色々考えていく中で、こうだから認知症になったのかなとか考えたけど、良くわからない。
すっと腑に落ちたのが、母はこうなる運命で生まれてきて、だから今までの出来事があったんだと。
そんな気がしてきた。

若い頃から、幼稚園のPTA会長や婦人会の会長をして、洋裁、和裁、編み物、そして旅行、ダンス、パートの仕事。なんでそんなに急いでやるのかなあとずっと思っていた。若い頃にやり尽くしていった感じがした。
何でも、はやくやりたがって、はやく出来て。
もっとゆっくりやれば、元気で長生きしたのかな?

そして、辛い思いもたくさんしていたのを見ていた。うまくいえないけど、こういう人生だったから、認知症になったというより、70歳で認知症になってしまう運命だからこうやって生きてきたとしか思えない。


私の運命も決まっているとしたら、日々大事に生きていくことだけなんだと思った。
母の戻らない過去の辛さを気にしているうちに、私の時間も減っているんだと気づいた。
自分の人生も母の人生と一緒に終わったなんて思っていた頃よりは、少し前を向けるようになった。
自分に出来る、わくわくすることを探して、自分の人生を生きていこうと思う。



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訪問看護さん

今日は、訪問看護のナースが来てくれる日。
今日来てくれたのは、とっても優しいIさん。
今まで、てき便、鼻チューブの交換、尿のカテーテルの交換と痛いことばかりで訪問するので、
特にIさんは、ちょっと辛そうな感じがした。
鼻チューブは胃ろうになり、カテーテルは抜けて自分で排尿できるようになったので、痛いのはてき便だけになった。Iさんにも少し余裕が出来てきたのか、いろんなことを試してくれる。


今日は、清拭、てき便、手浴をしてくれた後、大きなふわふわのボールを持って来て、ふじちゃん伸びちゃった足の筋肉をほぐすと言って足を乗っけてゆさゆさしてくれた。
ふじちゃん「いやー」と言って、お気に召さなかったみたいなので、「だめでした~」と言って退散でしたが。

Iさんから、最近ふじちゃんが受け答えをしてくれるので嬉しいんですとの報告。
確かに、最近「暑い?」と聞くと「うん」とか「暑くない」とか答えてくれるようになった気がする。
こんなになっちゃっているけど、母さんは人に喜びを与えられているんだな~と思った。


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体育の日

10月10日体育の日。今日は、私たち夫婦の結婚記念日。18年間突入。
結婚式の日、白無垢を着て、おばあちゃんが作ってくれた振袖をきた。
振袖を美容院に持っていってとふじちゃんに頼んだんだけど、妹の振袖を持っていってしまって、
だから、当日着たのは妹の振袖。


その時、「振袖違うじゃん」って言ったら、「そうだった?こっちの方がいいと思って。」
なんて言ってたけど、このときから、物忘れが始まっていたのか、ただの早とちりだったのか、今思うと少し怖くなる。
昔から、娘の話聞かないで、自分の言いようにしてしまうところもあったのでなんともいえないけど。


妹が言うには、自転車のかごに財布おいたままとか、鍵つけたまま家の中にいること良くあったらしい。
私もこれは時々ある。
だけど、結婚式に頼んだ振袖と違う妹の振袖着せようとするのかな…。
怖いから、もう考えるのはやめようと思った。ずーっと前のことだし。

今日はいい天気だけど、ムセ気味のふじちゃんとそんなことを思い出してしまった。
考えると怖くなるから、思考ストップ。

  1. 私のこと
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イヌイットになった日本人のテレビをみて思う

昨日、NHKでイヌイットになった日本人の親子三代の記録をやっていた。
おじいさんが日本人で、子供、孫の三代で狩りをする様子が映し出されていた。

生きるための狩りや生活全般の仕事を、子供に伝え、それが孫に伝えられている。
いきるための仕事だから、教えるほうも教えられるほうも真剣、そして子供を見守るおとうさんやおじいさんのまなざしが温かかった。何歳になったから、これをやってみろと言ってやらせる親。チャレンジする子供。
人を育てるってこういうことなんだと思った。


私も、こういう親からの伝授を求めていたんだと思う。
核家族でなんにも伝統はない家だったけど、ふじちゃんの技術とか伝授されたかったな。
母は、私や妹にまっすぐな気持ちで正直に生きる姿を見せ続けてくれたと思う。
ただ、どうした訳か、料理とか裁縫とか教えてくれなかったなあ。(掃除はよく一緒にした)
私が、部活で遅かったり、遊び歩いていて家に居なかったことも要因だと思うけど。
気持ちや生き方は、教えてもらった感があるけど、母のもっている技術は教えてもらいたいなあで終わってしまった。
だから、ここに来て、母がこうなったことで、動揺している自分がいるのかもしれないとふと思った。


たぶん、イヌイットの子供は、はたち前には、親のもっているすべての生きる知恵を伝授されているのだと思う。それが、大人になるということなんだと思う。
それは、親と過ごす濃厚な時間であり、親はいついなくなってもいいという覚悟もあるんだと思う。
そして、親も子供も成長していくんだと思った。


そんな時間が私には、足りなかったんだと思う。なんとなくそれは、ずっと感じていたこと。
今、はっきりした感じがした。
ふじちゃんに反発ばかりしていたから仕方がないことなんだけど。







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去年のこと④

ハチとふじちゃんで救急車を呼んだ土曜日。
急いで夫と○△脳神経外科に駆けつけると、ふじちゃんは車椅子に乗っていた。
ちょっと、年取った感じがした。ぼーっとしていた。
「なんともなかった」といいながらハチに「お父さん私がこんな病気になったしまったごめんね」と言っていた。
でも、耳の悪いハチには聞こえてなかったような…。

その日、鍼灸院を予約してあったので「どうする?」と聞くと、行くと言うのでふじちゃんと二人で向かう。
ふじちゃんは、外階段をしっかり上がっていた。
針治療をしていると、ふじちゃんの右手の腫れがひいていた。
これにはふじちゃんもびっくり、9月まで1年半違う治療院に通っていてよくならなかったと言っていた。

この治療院、昨年の夏にたまたま知り合った。もっと早くふじちゃん連れて行きたかったけど、ふじちゃんは、別の治療院の先生が気に入っているようだったし…。もっと早く連れて行きたかったなと今でも思う。

そして、ふじちゃんと実家に戻って、ご飯を食べて家に帰った。

このときは、パーキンソン病にふじちゃんが落ち込んでいるとみんな思っていた。
それから、携帯や家にふじちゃんからよく電話がかかってきた。
「手が腫れて熱いんだよ~」「首の後ろが痛いんだ~」
あんまり電話がかかってくるから、「先生大丈夫って言ってたじゃん」なんて怒ってしまったこともあった。
ハチも、妹も私も、ふじちゃんを総合病院に連れて行こうと思っていたけど、もう少しふじちゃんが落ち着いてからの方がいいんじゃないのかと思い出した。
パーキンソン病の初期だから大丈夫という思い込みがあった。

メネシットの服薬をはじめてから、2週間経って、ふじちゃんは右手に力が入らないと言っていた。
布団を自分で上げ下ろししていたのが、出来なくなっていた。
料理も包丁を持てないというので、妹と休みの日に交替で実家に行って、野菜を切って、味噌汁が出来るように冷蔵庫に入れていたが、作らなくなっていた。変だけど、落ち込んでいるのかと思った。

2週間目の通院は、ハチとふじちゃんで行った。たぶん、力の入らなくなっていることは伝えられなかったんだと思う。手の動きがよくなったと先生に言われたと言っていた。
それからしばらくして、ふじちゃん、電話はしてくるけど、電話に出なくなっていた。
ふじちゃんが電話してきて、「最近ねむれない」という。
その頃、私はピラティスの試験が迫っていたこと、会社の上司のストレスで精神状態が最悪だった。
眠れないというふじちゃんに大丈夫だよとまた言っていた。
ふじちゃんの眠れないの訴えに、ハチは○△脳神経外科にふじちゃんを連れて行った。
夕方家に電話すると誰も出ないので、ハチの携帯に電話すると二人で病院に居た。

うつだったとふじちゃん。うつの検査をされたらしい。
パキシルという薬を1錠出された。ふじちゃんは、うつじゃないと思った。
だから、「パキシルは飲んじゃだめ」とふじちゃんに電話で言った。
でも、眠れないからというので、実家に急いで向かった。
パキシルは私のかばんにしまった。
その夜、ふじちゃんは眠れたんだと思う。ただ、ハチが夜中に突然家を飛び出していった。
様子を見に行くが見当たらない。
パキシルを飲むなと言われた事で、どうしてよいのかわからなかったらしい。


  1. ふじちゃんの経緯
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母さん怪獣になる

昨夜は夫が来てくれて、夜間の体交は夫がやってくてることに。
朝までぐっすり眠る予定が…。

0時に体交のとき、ふじちゃん爆睡中。このまま朝まで寝る勢い。
オムツを替えて、体をごろごろしていると、目がパッチリ開く。
「起きた?」「うーん」
そこから、朝の5時くらいまで起きていたみたい。
意味不明のおしゃべりずっと続いて、夫、ふじちゃん、私寝不足です。


あるつながりから、高校の部活の先輩が、自給自足の田舎暮らし(と言っても街中から1時間くらいのところ)をしていることが判明。田舎暮らしは、前からあこがれていたけど踏み切れないでいた。
その先輩のブログをみていると、地域で運動会や秋祭りがあって楽しそうだった。
私たち夫婦がこういうところに住んでいたら、母さんも良く来てくれて、今みたいにならなかったのかな?なんて考えていた。
夫に、先輩の話をしたら、夫も、「俺たちがこういうふうに暮らしていたら、お母さんこうはならなかったかもね」なんて言ってくれた。
夫も苦しいし、同じこと考えているんだなあと思い、うれしかった。
夫は「お母さん何でこんなになったんだろう?」を連発していた。
みんなみんな運命なんだよ。誰のせいでもないよと言ってみた。

  1. 母のこと
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今日の母と私の気持ち

母さん、今日もおしっこ快調です。
朝、「苦しい」と妹に訴えたそうで、羽毛布団が暑かったらしいです。

朝ごはんを入れるとき、「ご飯だよ」というと「うん」と言ってうなずく顔が優しくて、声がかわいかった。
ずっとずっと落ち込んでばかりだったけど、かわいい母さんを大事にしようと今日、改めて思えた。


仕事に行った妹にメールすると、「そうだよ、母さんかわいいんだよ」と返信。
だぶん、彼女のほうが先に、こういう心境になっていたんだと思う。
忙しくても、家に帰ってくるし、訳のわからない会話をして楽しそうにしている。
  1. 私のこと
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人生って何だ。

母が認知症とわかったときには、すでに寝たきりになっていた。
少しでも良くなってくれたら、何て期待していた。

母の病気の進行は思ったより早く、今動くのは首のみ。
言葉も、少し話せるくらい。それでもうれしい。

何で?どうして?何で母ばかり?と思った。
71歳だよ。早すぎるよ。
一生懸命、全力で生き過ぎた?心配性だったから?
一緒に暮らしていたら、ならなかったのか?孫がいたら?なんて、自分を責めて、母を責めて…。
そんなことを繰り返してしまうときがある。


昨日テレビを見ていて、夫婦や家族で海外に移住した番組をやっていた。
こんなふうに、好きなように生きていたら病気にならないんだろうな。何て見てた。
そしたら、一緒に移住した50代の奥さんを病気で亡くして、今一人で南の島で暮らしている旦那さんのお話になった。
それを見ていて、やっぱり、運命・寿命ってあるんだなあなんて妙に納得してしまった。

だから、一緒に暮らさなかったのも母と私の運命。孫ができなかったのも運命なんだよと思った。
母方のひーばあちゃんは88歳。ばあちゃんも83歳まで生きた。
だから、母が71歳で寝たきりになってしまうなんて、全く想定外のことだった。
ただ、それは私は想定しただけで、運命は違った。
まだ元気でいると思っていたから、大した親孝行なんてできなかった。
何も出来なかったのも運命なのかもしれない。

母とは性格が似すぎていて、喧嘩ばかりしていた。
だから、大好きだよなんて照れくさくて言えなかった。
だだ、母は膝の調子が悪くなってから、「ありがとう」をたくさん言ってくれるようになった。
それがすごくうれしくて、私も「ありがとう」って言うようにした。たぶん伝わったよね。

これから、どんな人生になっていくのだろう。
母のことで、人生は自分の思っているようには行かないということを学んだ。
だから、今目の前にいる、父母、妹、そして夫との過ごせることを感謝していこうと思った。

父が自己中で、家のことに関心がなかったので、母は父と母を両方こなしてきてくれたように思う。
だから、余計戸惑いが大きいのかもしれない。
自分一人が、悲劇のヒロインのようになっているけど、辛く悲しいのは私だけじゃない。
車に乗るたび、母はもう助手席には乗れないんだよなー。なんて寂しくなる。
でも、隣で笑っていた母も思い出す。







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今日の母

さっき、体交してオムツのチェックをしたら、大量のおしっこ。
尿のバルーンとってから、このおしっこたっぷりのパットやおむつ交換がうれしい。
ちょっと変だけど…。

尿のバルーンがあると、朝起きて、1000ccくらい入るカップに溜まったおしっこをとって、トイレに捨てていた。この朝一の仕事がすごーく非人間的で嫌だった。管ついていて痛そうでかわいそうだった。
だから、おしっこずっしりのパットやオムツはうれしくて仕方がない。


掛け物が多すぎて、汗をかいていたので、上衣を交換しようとして、着せやすいべろべろのTシャツをたんすから出すと「それ嫌」とふじちゃん。
「えっ?」「これは?」と次に着せやすいべろべろTを出すと「嫌」ちゃんとしたかわいいパジャマを見せると「うん」しっかりしてた。
昨日は、ずっと寝てたから今日は頭がはっきりしているのかな。


  1. 母のこと
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去年のこと③

今朝、置き薬屋さんが来た。
「おかあさん、どう?」
「寝たきりになっちゃった。」
「去年の今頃は、元気だったのにね…。」そんな話をした。

「中学生と自転車でぶつかってから悪いな」
みんなそういう。おととしの6月中学生と自転車でぶつかって、右手と右足が腫れて治らないとみんなに話していたふじちゃん。鍼治療で腫れはひいてきたよ。なんていってた。
でも、それは自転車でぶつかったからじゃなくて、レビーの進行で動かなくなっていたんだと思う。
本人が、自転車の怪我っていうから、みんなそう思っていた。

10月の整形外科に行ってから、次の通院は一緒に行こうと思った。
それからすぐの11月3日、「今から行くよ」って家に電話を入れると。
「今、病院に行ってきた。手足が震えて立っていられなくて…。CT取ったら大丈夫だって。」
びっくりしてすぐに実家へ。
手足が震えているのに、救急外来じゃなくて、内科の当番医に連れて行ったハチ。「なんで?」
たまたま、そこにCTがあって、先生が明日、近くの○△脳神経外科にかかるように言ったとのこと。

妹に電話をして、総合病院の脳神経内科にかかろうと言ったけど、ハチは自分が通っている病院だったので、うれしそうに「俺が母さんを連れて行ってやる」と行って、そこの脳神経外科に連れて行った。
「何で?」と思ったけど止められなかった。

翌日、脳神経外科に一緒についていった。
先生は、手が震える、顔が能面のよう、すり足歩行、でパーキンソン病と診断。
メネシット100が一日2錠処方される。
パーキンソンの初期だから、飲まなくてもいいけど、私なら飲みますというので、ふじちゃんも飲むことに。

ハチは、MRIも撮ってくれたから大丈夫だななんて言ってた。
私は、そんなに簡単にわかるの?って思ったけど、初期って言われたこと、ふじちゃんがいつもと違って、妙に弱気で不安を訴えていたので、病気を受け入れて落ち着くまで様子をみようと思ってしまった。

その週の土曜日、実家に向かおうとしていると、ふじちゃんから電話。
「頭の後ろが、すごく痛い」「今から行くから待ってて。一応先生にも電話してみるよ」
と電話を切った。病院は開業時間前だったので電話が繋がらず、ふじちゃんに電話すると電話がでない。
ハチの携帯に電話を入れると、救急車をよんだとのこと。
ハチは救急車で総合病院に連れていこうと思っていたみたい。でも、救急車の人に○△脳神経外科にかかっているって言っちゃったので、またそこに連れて行かれてしまった。
先生からは、多量の痛み止めとシップが出された。MRIをまた撮ったみたいだけど。

次の週に、総合病院の脳神経内科に連れて行こうと思っていた矢先の出来事に少し疲れてしまった。


  1. ふじちゃんの経緯
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涙が出た。

昨日、夫と分杭峠に行ってきた。遠いのでバスツアー。
分杭峠は、ずっと行きたかった。分杭峠はパワースポット。
夫の知り合いが行くというので、便乗させてもらった。
色々あったから、行ったほうがいいかなとも思って…。

ふじちゃんは、妹が仕事を調整してみてくれた。
忙しいのに、妹は快く行ってきなと言ってくれて、ありがたかった。

分杭峠でボーっとしていると。両目から涙があふれ出てきた。
ふじちゃんのことを思っているんだけど、いつものように辛くて泣けるんじゃなくて、
温かいけど、悲しくて泣けた。辛くて泣くと体がいためつけられるけど、今回はすっきりした。


帰りに夫の知り合いのおばさんと話をしていて、起きちゃったことは仕方ないんだよ。
まっいいかって思うしかない。と、違うことを話していて言われた。
ふじちゃんのことをまっいいかとは思えないけど、クヨクヨしていても仕方ないんだよなーと思った。

ツアーに向かう電車の中やツアーで元気な年配の方を見ると、改めて、ふじちゃんはもうこうして旅行にいけないんだよなあと思う。
でも、旅行好きのふじちゃんはこうして旅行に行っていたんだよなとも思う。楽しかったよね。


今回、夫と私の関係がいつもと違っているような感じがした。
今までは、ほとんど別々に行動していたうちの夫婦。今は、そばにいてくれる感じがありがたい。

ふじちゃんのことがあって、お互い辛かったし、今も辛い。
たくさん言い合った。でも、こうしてそばに居てくれる。
ありがとう。
妹にもありがとう。


へんくつジイさんにありがとうといえるくらいになれたらたいしたものかな。
  1. 私のこと
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去年のこと②

去年の9月末、ふじちゃんの帯状疱疹は快方に向かっていった。
なので、大丈夫かなと思っていた。
ただ、体が左に傾くのと、右足をするようにして歩くこと、右肩をすくめていることが気になった。
「脳の病気だと困るから、脳の病院行かない?」と聞くと「大丈夫」

ふじちゃん、昔から頑固で自分で行くって言わないと行かないので、大丈夫なのかと思った。
認知機能の低下で、自分のことわかってなかったんだと思う。

10月に入って、電話するとすぐに「もう切るよ」と切られた。忙しい?機嫌が悪い?と思った。
話している途中で電話して、切られたこともあった。
?っと思ったけど、認知症とは思ってみなかった。
一緒にテレビ見ているとき、パナソニックが読めなかった。昔から英語苦手だったからなと思った。
「えーと。なんだっけ」って言ってることがあった。

そんなことがたくさんあったけど、気にならないくらいだった。
ハチの悪口をたくさん言ってたけど、それも病気のせいだったんだと思う。
もともとポジティブな人だったけど、いつの頃からか人の悪口や愚痴が多くなった。

ふじちゃんは手帳に、10月半ばに「何か変だ」って書いてあった。何が変かはもうわからない。
ただ、それから妹に銀行に行ってもらって、仲間の旅行積み立てのお金をおろしてみんなに返していた。
管理していた裏の駐車場の仕事もふじちゃんのお兄さんにもう出来ないと言っていた。

少しずつ少しずつ悪くなっていんだと思う。
一緒に住んでいたら気づいたかなと思うけど、それも仕方がないこと。

それから、ふじちゃんはハチに頼んで、総合病院の整形外科に行った。
手足が震えて行ったはずなのに、たぶんお医者さんには、膝が痛い、手が腫れているとしか伝えられなかったんだと思う。ハチも良くわかってなくて、言われるままに整形に連れていった。
お医者さんも膝の痛みと腫れで、リウマチや膝の変形を疑って、手術を勧めた様子。
お医者さんも、震えのこと言われなければわからなかったのかもしれない。
だた、ふじちゃんのあの姿勢、わかるお医者さんだったらわかったのかもと思う。
そして、なんで娘に聞いてくれなかったのかなと思う。




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プロフィール

みや

Author:みや
レビー小体型認知症で2ヶ月で寝たきりになった母を自宅で介護。3年の闘病の末、母は73歳で旅立ちました。
現在、83歳の父が微妙なかんじです。

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